「安保関連法」に違憲訴訟の波を

 安倍晋三首相は、9月19日未明に安保関連法が成立したのを見届けると、連休中は側近らとゴルフを楽しんだ。TVに映し出されたその白いゴルフウェアー姿は、目に焼き付いた。
 「安保関連法案」を強行突破した安倍晋三政権には、違憲訴訟が相応しい。


 毎日新聞は2015年10月1日、「安倍晋三政権は、憲法学者や元最高裁長官らが「憲法違反」と指摘していたにもかかわらず、安全保障関連法を成立させた。来年夏の参院選とともに注目されるのが、今後相次ぐと予想される違憲訴訟の行方だ。三権分立の一翼を担う司法は、これまで憲法判断に消極的と言われてきたが、安保関連法をどう判断するのだろうか。」、とまとめた。
 この中で、違憲訴訟の有効性について、小林節・慶応大名誉教授の次の考え方を掲載する。

   

 「憲法の前文には、誰もが平和な環境で生きられるという『平和的生存権』が明記され、9条でそれを保障しています。ところが安保関連法が施行されると、国民は常に戦争の危険にさらされ、平和的生存権が侵害される。理論上、国を相手に損害賠償を請求できるようになります」


 一方、違憲訴訟の困難さについて、「『裁判所は【原告が権利侵害を受けているとは言えない】などと訴えを棄却する可能性があるからです。また、統治行為論で裁判所が憲法判断から逃げる可能性もあります』と語る。」、との井戸謙一弁護士の言葉を紹介し、所謂門前払いの「訴えの棄却」と「統治行為論」の二つの問題点があることを指摘している。
 また、あえあせて、「最高裁判事に出世するようなエリートほど、法務官僚として最高裁事務総局に勤務したり、法務省に出向したりする期間が長くなりがちです。他省庁と折衝などをしていれば、自然と霞が関の論理に染まり、考え方が政府寄りになってしまいます」、と明治大の西川伸一教授(政治学)の「裁判官の意識の問題」を三つ目の問題点としてあげる。それは、次のような意識であるとする。


「最高裁判事に出世するようなエリートほど、法務官僚として最高裁事務総局に勤務したり、法務省に出向したりする期間が長くなりがちです。他省庁と折衝などをしていれば、自然と霞が関の論理に染まり、考え方が政府寄りになってしまいます」
 また「裁判所は、霞が関では二流官庁」「裁判官は選挙で選ばれた存在ではない」という引け目も、国のあり方を問う訴訟で憲法判断を避ける一因と分析する。さらに問題なのは、その弱みにつけ込む政治家の存在だ。「一部の政治家には『裁判所なんて政治の力でどうにでもなる』というおごりがある。定数是正を促す判決に不満を言う政治家などはその典型。司法はなめられている」と嘆くのだ。


 さらに、四つ目の問題点として、井戸謙一弁護士は、「地裁や高裁で安保関連法の違憲判決が幾つか出れば、政権が裁判所人事などに介入することもあり得るのではないか」、と「政権による圧力の懸念」を指摘する。

 毎日新聞は、次の二人の言葉を載せる中で、「安保関連法」についての憲法判断の必要性をまとめた。


「私たちに裁判所に憲法判断を放棄させない方策はあるのか。西川氏は『裁判官は政治家だけでなく、国民の視線も気にしています。私たちが関心を持ち続けることは裁判官へのプレッシャーになる。司法に物申す機会として、最高裁判所裁判官の国民審査もあります』と指摘する。」

「安保関連法の成立に突き進んだ自民党の高村正彦副総裁は『憲法の番人は最高裁であり、憲法学者ではない』と言い切った。では、本当に裁判所は政治をそんたくしない『憲法の番人』なのか。問われる日は必ず来る。」


「憲法の番人は最高裁であり、憲法学者ではない」という言葉を、真に実現させなければならない。
 でなければ、本当に日本の司法は終わってしまう。

 以下、毎日新聞の引用。






毎日新聞-特集ワイド:安保関連法「違憲」は出るか-2015年10月01日 


 ◇全国各地で訴訟の動き相次ぐ 統治行為論の壁

 安倍晋三政権は、憲法学者や元最高裁長官らが「憲法違反」と指摘していたにもかかわらず、安全保障関連法を成立させた。来年夏の参院選とともに注目されるのが、今後相次ぐと予想される違憲訴訟の行方だ。三権分立の一翼を担う司法は、これまで憲法判断に消極的と言われてきたが、安保関連法をどう判断するのだろうか。【小林祥晃】

 安倍首相は9月19日未明に安保関連法が成立したのを見届けると、山梨県の別荘に移動。連休中は側近らとゴルフを楽しんだ。「難題を乗り越えた後の息抜き」などと報じるニュースを尻目に、多忙を極めていた人がいる。6月の衆院憲法審査会で「法案は違憲」と明言した3人の憲法学者の一人、小林節・慶応大名誉教授だ。安保関連法の成立後も連日、シンポジウムや講演で全国を飛び回るが、弁護士でもある「違憲論」のリーダーは、寸暇を惜しんで違憲訴訟の準備を進めている。

 訴えの法的根拠を、小林氏はこう解説する。

 「憲法の前文には、誰もが平和な環境で生きられるという『平和的生存権』が明記され、9条でそれを保障しています。ところが安保関連法が施行されると、国民は常に戦争の危険にさらされ、平和的生存権が侵害される。理論上、国を相手に損害賠償を請求できるようになります」

 なぜ、損害賠償なのか。

 ここで違憲訴訟について簡単に説明しよう。法律や規則などが憲法に違反していないかを審査する権限「違憲立法審査権」は裁判所が持っている。ただ、裁判所が主体的に審査に乗り出すわけではなく、訴えを審査する過程で合憲か違憲かを判断する。

 例えば、最高裁は2005年、海外在住の日本人の選挙権を一部制限する公職選挙法の規定について「違憲」とする判決を言い渡した。この判断は「規定のために投票できなかった」として慰謝料を求めた訴訟で示された。安保関連法の違憲性を問う場合も、何らかの損害や被害を受けたと訴える必要があるわけだ。

 違憲訴訟を検討している弁護士や市民団体は全国におり、連携する動きもある。「安保法制反対」の世論の後押しを受け、違憲訴訟が相次ぐ可能性はありそうだ。

 裁判所は「違憲訴訟」をどう判断するのか。法律家の予測を聞いてみた。

 「9割以上の裁判官は、安保関連法は違憲だと考えているはず」。金沢地裁の裁判長として06年、北陸電力志賀原発2号機の運転差し止め判決を出し、その後弁護士に転じた井戸謙一氏は即答した。政府や一部の憲法学者は「集団的自衛権の行使は憲法違反ではない」と安保関連法の合憲説を唱えるが、井戸氏は「裁判官から見て納得できる理屈になっていない」と、合憲判決には否定的な見方を示す。

 ならば、各地で違憲判決が続々と出るはず、と思えるが、井戸氏は慎重だ。「裁判所は『原告が権利侵害を受けているとは言えない』などと訴えを棄却する可能性があるからです。また、統治行為論で裁判所が憲法判断から逃げる可能性もあります」と語る。

 統治行為論とは「高度の政治性を有した国家行為については、一見して違憲無効と認められない限り、司法審査権の範囲外」とする考え方。日米安保条約の合憲性が争われた砂川事件の最高裁判決(1959年)で言及され、その後も自衛隊の合憲性が問われた長沼ナイキ訴訟控訴審(76年)などで司法判断を避ける際にも使われた。

 裁判所の消極的な姿勢に対し、「やっぱり九条が戦争を止めていた」などの著書がある弁護士の伊藤真氏は「今回は統治行為論で逃げてはいけない」とくぎを刺す。この論理で憲法判断を政治に投げ返す場合、二つの前提条件があるとの考えに基づく批判だ。

 一つが、正当な選挙で選ばれた国会議員で構成された国会であること。もう一つは、政党同士が立憲主義という価値観を共有し、審議で歩み寄る姿勢を持っていること−−だ。伊藤氏はいずれの条件も満たしていないと指摘する。

 「今の国会は衆参両院とも1票の格差が大きく、その是正にも消極的で『正当な選挙で選ばれた』とは言い難い。立憲主義についても、政府・与党は『都合の悪い憲法は解釈を変えてしまえ』という態度。せめて米国の共和党と民主党のように、政策で対立しても『憲法は守る』という点で一致していてほしいのですが。いずれにせよ、この状況で司法が判断を政治に委ねることは許されません」

 それでも裁判所が憲法判断を避けたら、伊藤氏はどう考えるのか。「もはや裁判所に存在意義はない。司法省の下部組織だった戦前に逆戻りします」

 ◇選挙経ていない裁判官、「政権が人事介入」懸念も

 自衛隊や安全保障に関する憲法判断に消極的なのは、統治行為論だけが理由ではない。司法行政に詳しい明治大の西川伸一教授(政治学)は裁判官の意識の問題を説く。「最高裁判事に出世するようなエリートほど、法務官僚として最高裁事務総局に勤務したり、法務省に出向したりする期間が長くなりがちです。他省庁と折衝などをしていれば、自然と霞が関の論理に染まり、考え方が政府寄りになってしまいます」

 また「裁判所は、霞が関では二流官庁」「裁判官は選挙で選ばれた存在ではない」という引け目も、国のあり方を問う訴訟で憲法判断を避ける一因と分析する。さらに問題なのは、その弱みにつけ込む政治家の存在だ。「一部の政治家には『裁判所なんて政治の力でどうにでもなる』というおごりがある。定数是正を促す判決に不満を言う政治家などはその典型。司法はなめられている」と嘆くのだ。

 おごりだけではなく、前出の井戸氏は政権による圧力を懸念する。「地裁や高裁で安保関連法の違憲判決が幾つか出れば、政権が裁判所人事などに介入することもあり得るのではないか」

 ここで思い出してほしい。安倍政権は「集団的自衛権の行使は違憲」との憲法解釈を転換するために、内閣法制局長官を交代させたことを。井戸氏は「今の内閣法制局は、政権による人事介入で実質的に機能していない。『こういう状況の中で、今までと同じ姿勢でいいのか』という議論が、最高裁内部で起きるのではないか」と、司法の自助努力に期待をかけるのだが。

 私たちに裁判所に憲法判断を放棄させない方策はあるのか。西川氏は「裁判官は政治家だけでなく、国民の視線も気にしています。私たちが関心を持ち続けることは裁判官へのプレッシャーになる。司法に物申す機会として、最高裁判所裁判官の国民審査もあります」と指摘する。

 安保関連法の成立に突き進んだ自民党の高村正彦副総裁は「憲法の番人は最高裁であり、憲法学者ではない」と言い切った。では、本当に裁判所は政治をそんたくしない「憲法の番人」なのか。問われる日は必ず来る。


by asyagi-df-2014 | 2015-10-03 05:40 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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