沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第31回

 沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
 そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。
三上知恵の沖縄撮影日記。

 
 今回の報告では、日本本土の者達に今こそ動く時ではないかと問いかける。次のように。


「辺野古では海を分断するウキがまた姿を現し、桟橋の設置も進み、大型車両の夜明けの搬入も続いている。でもゲート前は夜中でも工事車両を阻止すると士気は高い。翁長知事の取り消しを表明した同時刻、座りこみテントは大きな歓声と拍手にわいた。
 これからの工事強行、そして訴訟と発展していけば沖縄は厳しい日々が続くだろう。知事がどこまで反対を堅持し、建設阻止まで粘れるか。知事だけではなく彼を支える沖縄県民の覚悟が問われている。
 しかし今、本当に問われるべきは沖縄なのだろうか。覚悟もしないままに今崖っぷちにいるのは、民主主義国家に生き、平和を享受しているつもりでいる本土の人たちではないのか。一都道府県にだけ民主主義を認めず、自分たちの代表である政府が沖縄の民意をひねり潰していくのをただ眺めている国民の手の中にある民主主義など、もう腐敗した土くれと同様だ。沖縄を黙殺することで自分と大事なモノだけが守れる仕組みを維持できると本気で考えているとしたら、みんなで泥舟に乗ったまま沈没する道しか残されていない。」


 確かに、問われているのは、本土の人間だ。
 苦悩の日々を背負わされるのは、沖縄人だけではない。
 今、ほくそ笑んでいるものや思案顔でいる者達に取ってこそ、崖っぷちに立たされているのだ。

 三上さんの紹介する琉球新報の社説は、真実を突いて心を揺さぶる。


 「これは単なる基地の問題ではない。沖縄が、ひたすら政府の命ずるままの奴隷のごとき存在なのか、自己決定権と人権を持つ存在なのかを決める、尊厳を懸けた闘いなのである。」


 何と、すべてを紐解く道標ではないか。

 三上さんは、こうも記す。


「前の知事が承認したことについて意見を求められると『あの承認が官邸の錦の御旗となっていることを思うと胸が掻きむしられるような気持ちだ』と心情を吐露しつつも、『同じウチナーンチュがやったことだ。反省から一緒になって沖縄の未来に責任が取れるよう沖縄に誇りが持てるようにしていきたい』と付け加えた。私は目頭が熱くなった。沖縄の歴代のリーダー達の苦しみをよく知る翁長知事ならではの言葉だ。いわゆる『植民地エリート』が宗主国からアメとムチで手なずけられ、自分の故郷やその仲間を売ってしまう。そんな構図の中でリーダー達は苦しみ、宗主国は『君たちのリーダーがいいと言ったんだ。恨むならリーダーを恨むんだね』とほくそ笑む。」

「2013年末、当時の仲井真知事を都内の病院に入院させ、そこから抜け出す形で密会を重ねた末『辺野古埋立てを承認します』と公約と真逆のことを知事に言わせた政府。あれこそが植民地エリートを人形のように操る宗主国の残酷な行いではなかったか。だからこそ前知事を責める気持ちではなく、『掻きむしられる』ように辛かったのだし、『反省から、一緒に誇りが持てるように』と、今後も共に進む仲間なんだと捉える翁長知事のこの言葉を私は誇りに思う。
 これは人の失敗や苦しさを自分の内臓の痛みとして感じる『肝苦りさ(チムグリサ)』の発想である。まさに革新や保守やイデオロギーではない、沖縄県民の肝心(チムグクル・真心)で語れるリーダーだから、みんなで支えようと一つにまとまることができたのだ。その翁長知事が沖縄の団結を呼びかけた。意気に感じる県民は多いだろう。」


 こんな沖縄人の思いに、繋がりたいと思う。

 以下、三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第31回の引用。






三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記-ついに承認を取り消した翁長知事 ~沖縄・本土メディア その読み込み方の違い~


 これは単なる基地の問題ではない。沖縄が、ひたすら政府の命ずるままの奴隷のごとき存在なのか、自己決定権と人権を持つ存在なのかを決める、尊厳を懸けた闘いなのである。
(琉球新報 9月15日 社説)

 沖縄県知事が辺野古埋立て承認を取り消す手続きに入り、国と真っ向勝負をする決断を表明した翌日、地元紙の社説は高らかにその意義を位置づけて見せた。沖縄県民による、沖縄の歴史観・価値観に根ざした、沖縄県民のための新聞の面目躍如たる名文だと思う。
 それでも作業を進めると言う安倍総理。「戦後の政治まで遡られると話し合いは難しい」と言い放った菅官房長官に対し、社説は怒りを隠さない。

 「菅氏は知事の対応について『普天間の危険性除去に関する政府や沖縄の努力を無視しており、非常に残念だ』と述べた。相手の意思を『無視』し、問答無用で行動したのはどちらの方か。『加害者』が『被害者』を装うのはやめてもらいたい」

 政府はあくまで「普天間飛行場をどこかに移すだけの話だ」と国民全体を騙し続けたいのだろうが、毎回書いているように辺野古の基地計画、あれは「代わりの施設」という範疇にはない。「普天間基地の危険をなんとかしようと思っただけなのに…」とうそぶいても、もう誰も騙されない。この軍港機能付きの複合軍事基地計画は、日本の運命をも変えるものだ。沖縄だけでなく、どこに造っても集団的自衛権の名の下に日米の軍隊が使う出撃基地になってしまうから、全国民が反対するべきだと私は思っている。だが、その恐ろしさを知る沖縄だけに、「お前のところに置く以外無い」と政府は迫る。社説はこう続けた。

 「近代以降の歴史を通じて沖縄はその意志をついぞ問われないまま、常に誰かの『道具』にされ続けた。今回の政府の姿勢はその再現である。沖縄は今後も民意を聞くべき対象ではないとする意思表示にほかならない。例えて言えば、あの苛酷な原発事故の後、地元の町長も知事も反対しているのに、政府が新たな原発建設を福島県で強行するようなものだ。こんな位置付けは、沖縄県以外では不可能だ」

 今、沖縄は歴史的な局面に向き合っている。耐えに耐えてきた苦難の近現代史を俯瞰して、今度こそこの国と沖縄の不幸な構図を変えなければ島の子ども達の未来がないと思うからこそ、相当の覚悟を持って国に対峙しているのだ。国との集中協議の中で毎回翁長知事がしつこいくらいに沖縄の歴史に言及したのも、政府にも、全国メディアの記者にも、全国民にも沖縄の基地が押しつけられた経緯をわかって欲しいからだ。「前の沖縄県知事の承認があって埋立てに進んだ」と直近の出来事に問題の起点を置いて問題を単純化されては、沖縄県民の怒りや悲しみがどこから来るのかわかりようがない。

 ところが、菅官房長官は沖縄側の歴史観を「賛同できない」ばっさり切り捨て、「戦後、日本全国が悲惨な状況の中、皆さんが苦労して豊かで平和な国を作り上げた」と一蹴した。
 県民の4人に1人が命を絶たれた沖縄戦の地獄。それを強調する言説を嫌う人は、よく「沖縄戦で死んだのは沖縄県民だけではない」という。そして戦争の苦しみも、焦土から復活する地を這うような努力も、どっちがどうではない、国民みんなで涙し、頑張って豊かで平和な国にまで這い上がったのじゃないか。いつまでも被害ばかりを持ち出すなと言いたいのだろう。しかし本当にそうだろうか? 日本全体がみんなで苦労し、みんなで這い上がった、その中に沖縄が入っていると沖縄の歴史を知った上で言えるだろうか。

 知事は、今月7日の集中協議最終日、政府が「工事を再開するつもりだ」と言ったことを受け、取り消しの決断をしたという。きのうの会見の冒頭「どんなに言葉を尽くしても、聞く耳を持たないのか。本当にそういう感受性がないのか」と話が通じない政府に対する苛立ちを表した。厳しい言葉かも知れないが「感受性がない」は、ずいぶん言葉を選んだ軟らかい表現だと思う。有り体に言えば、本当に不勉強なのか、鈍いふりをしているだけなのか、それともただ厚かましいのか、問題の根本にある歴史認識について変える気は毛頭無いという政府の姿勢に、知事だけではなく、沖縄県民は煮えくりかえるのである。

 さらに本土紙の記者が、人権を無視されてきた経緯とは無関係に普天間問題があるかのような質問をする。
 「普天間の返還が遅れることに関して宜野湾市民にどう説明しますか」
 ぼくはどっちでもいいけど、宜野湾の市民は困りますよ? という立ち位置にイラッとした県内記者も多かったと思う。「辺野古か普天間、どっちが苦しむのかって話でしょ?」という話にすり替える政府の手法に無批判に乗ってしまっているからだ。その瞬間、私も翁長知事が声を荒げるのではとちょっと期待した。しかし、彼は冷静に「今の質問が、まさに菅官房長官の『原点に対する認識』の違いだ」と受け、あなたのこの問題の読み込み方は政府サイドのものですね、と暗に諭すように答えた。

 さらに、前の知事が承認したことについて意見を求められると「あの承認が官邸の錦の御旗となっていることを思うと胸が掻きむしられるような気持ちだ」と心情を吐露しつつも、「同じウチナーンチュがやったことだ。反省から一緒になって沖縄の未来に責任が取れるよう沖縄に誇りが持てるようにしていきたい」と付け加えた。私は目頭が熱くなった。沖縄の歴代のリーダー達の苦しみをよく知る翁長知事ならではの言葉だ。いわゆる「植民地エリート」が宗主国からアメとムチで手なずけられ、自分の故郷やその仲間を売ってしまう。そんな構図の中でリーダー達は苦しみ、宗主国は「君たちのリーダーがいいと言ったんだ。恨むならリーダーを恨むんだね」とほくそ笑む。

 2013年末、当時の仲井真知事を都内の病院に入院させ、そこから抜け出す形で密会を重ねた末「辺野古埋立てを承認します」と公約と真逆のことを知事に言わせた政府。あれこそが植民地エリートを人形のように操る宗主国の残酷な行いではなかったか。だからこそ前知事を責める気持ちではなく、「掻きむしられる」ように辛かったのだし、「反省から、一緒に誇りが持てるように」と、今後も共に進む仲間なんだと捉える翁長知事のこの言葉を私は誇りに思う。
 これは人の失敗や苦しさを自分の内臓の痛みとして感じる「肝苦りさ(チムグリサ)」の発想である。まさに革新や保守やイデオロギーではない、沖縄県民の肝心(チムグクル・真心)で語れるリーダーだから、みんなで支えようと一つにまとまることができたのだ。その翁長知事が沖縄の団結を呼びかけた。意気に感じる県民は多いだろう。

 辺野古では海を分断するウキがまた姿を現し、桟橋の設置も進み、大型車両の夜明けの搬入も続いている。でもゲート前は夜中でも工事車両を阻止すると士気は高い。翁長知事の取り消しを表明した同時刻、座りこみテントは大きな歓声と拍手にわいた。

 これからの工事強行、そして訴訟と発展していけば沖縄は厳しい日々が続くだろう。知事がどこまで反対を堅持し、建設阻止まで粘れるか。知事だけではなく彼を支える沖縄県民の覚悟が問われている。

 しかし今、本当に問われるべきは沖縄なのだろうか。覚悟もしないままに今崖っぷちにいるのは、民主主義国家に生き、平和を享受しているつもりでいる本土の人たちではないのか。一都道府県にだけ民主主義を認めず、自分たちの代表である政府が沖縄の民意をひねり潰していくのをただ眺めている国民の手の中にある民主主義など、もう腐敗した土くれと同様だ。沖縄を黙殺することで自分と大事なモノだけが守れる仕組みを維持できると本気で考えているとしたら、みんなで泥舟に乗ったまま沈没する道しか残されていない。


三上智恵

三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画「標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~」は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。これまで300回を超える自主上映活動が続いている。現在、次回作の準備を進めている。



by asyagi-df-2014 | 2015-09-17 15:05 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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