沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第27回

 沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
 そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。

三上知恵の沖縄撮影日記。
 
 今回の報告は、7月11日の沖縄・那覇市の桜坂劇場でのアフタートークの様子。
ゲストは、全県民的人気の稲嶺進名護市長と、初代ネーネーズのメンバーで、ソロになってから世界を舞台に活躍する歌姫、古謝美佐子さんとのこと。会場は、300名の満員。 
この時の様子を、「上映が終わりトークで舞台に上がったとき、闘病中のゲート前のリーダー、ヒロジさんと、武清さん一家という主人公の皆さんから大きな花束を戴いて、私は幸せな気持ちで席についた。そしてまずは市長に感想を聞いた。ところが…。『ハイサイ! ぐすーよう(こんにちは、みなさん)』と言った後、絶句してしまわれた。『苦しくて、息ができなかった』とやっと話した後も、唇を振るわせている姿を間近に見て、私も喉が詰まってしまった。次に、古謝さんに感想を尋ねると、こちらも大きな目に涙を一杯ためて、一言も発することなくおもむろに三線を鳴らし始めた。
 そのときに歌って下さった内容に、会場ではすすり泣く人もいた。すべて破壊され、すべて奪われた、あの時代のこと。映画は1945年を基点に描かれているので、その時代を知る方々は、見終わってもまだ過去に魂を置いてきた感じがしていたのかも知れない。その歌というのは、「懐かしき故郷」である。本土で終戦を迎え、占領された故郷になかなか帰ることができなかった作者が沖縄を思って歌ったものだ。」
 実は、準備されたVTRを観る前に、報告文章を読む度に、いつもぐっときてしまう。

 三上さんはこう綴る。
 「観光客が700万人を突破し、人気俳優や歌手、プロゴルファーも輩出して、沖縄のイメージはかつてなく明るく、太陽のように輝いている。そんな中で『三上さんは〈標的〉とか〈戦場〉とか、どんな暗いイメージを沖縄に植え付けたいの?』と怒られることもある。でも、今沖縄に押しつけられようとしている出撃基地やミサイル部隊を許し、戦争をする国ニッポンの最前線になってしまえば、それから観光産業が壊滅したと嘆いても、もう元に戻ることはないのだ。
 あの沖縄戦から必死に離れようと、復興の道を70年ひた走ってきたはずの沖縄だけれど、民主主義は機能せず、平和的生存権も財産権も回復していない。日本と米国の軍事戦略の拠点としてあらゆる制約を課されたままのこの島は、復帰しても占領状態と変わらないという人も多い。果たして、沖縄県民は背中にPWと書かれたあの服を脱ぎ捨てきれたのだろうか。」

 「果たして、沖縄県民は背中にPWと書かれたあの服を脱ぎ捨てきれたのだろうか。」
 この問いを、自らのものにしようとうる沖縄。
 最後には自分の判断で、PWと書かれた服をきせるのも厭わないと広言する輩達。
 どちらかの道を選ばされる時が来ている以上、自分の道を選ぶ意志を自覚しなければならない。

 以下、三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第27回の引用。








「戦争をする国ニッポン」の最前線にならないために~古謝美佐子さんが歌う捕虜哀歌~


 今月は新作映画『戦場ぬ止み』の封切りが沖縄・東京・大阪・横浜・福岡と続き、舞台挨拶に駆け回っていた関係で更新できない週が続いてしまった。「マガジン9」読者のみなさんへのお詫びに、今回は長編のVTRをお届けする。各地の映画公開日トークの中でも一番の豪華ゲストで、かつレアなライヴになった沖縄・那覇市の桜坂劇場でのアフタートークの様子だ。

 7月11日、桜坂劇場の公開日は、先行上映に続いて再び300人のホールが満員になった。それもそのはず、ゲストに来て下さったのは、全県民的人気の稲嶺進名護市長と、初代ネーネーズのメンバーで、ソロになってから世界を舞台に活躍する歌姫、古謝美佐子さん! 
 しかも、古謝さんは三線を持って来て下さった。実は、前作『標的の村』の県内で行われたいくつかの自主上映会で、古謝さんは誰にお願いされたわけでもなく、この映画を応援したいと三線を持って何度か自主的に会場に駆けつけて下さっていたのだ。私は後になって知ったくらいで、非常に恐縮すると共に感動した。
 「童神」などヒット曲がいくら出ても、ずっと戦争の歌を歌ってきた古謝さん。この島を再び戦場にしてはならないという並々ならぬ思いがおありなのだろう。今回の件も、劇場の方から打診してみたところ、快く引受けて下さった。かくして、ミニライヴ付きという贅沢なトークショウが幕を開けた。

 上映が終わりトークで舞台に上がったとき、闘病中のゲート前のリーダー、ヒロジさんと、武清さん一家という主人公の皆さんから大きな花束を戴いて、私は幸せな気持ちで席についた。そしてまずは市長に感想を聞いた。
 ところが…。
 「ハイサイ! ぐすーよう(こんにちは、みなさん)」と言った後、絶句してしまわれた。
 「苦しくて、息ができなかった」とやっと話した後も、唇を振るわせている姿を間近に見て、私も喉が詰まってしまった。次に、古謝さんに感想を尋ねると、こちらも大きな目に涙を一杯ためて、一言も発することなくおもむろに三線を鳴らし始めた。

 そのときに歌って下さった内容に、会場ではすすり泣く人もいた。すべて破壊され、すべて奪われた、あの時代のこと。映画は1945年を基点に描かれているので、その時代を知る方々は、見終わってもまだ過去に魂を置いてきた感じがしていたのかも知れない。その歌というのは、「懐かしき故郷」である。本土で終戦を迎え、占領された故郷になかなか帰ることができなかった作者が沖縄を思って歌ったものだ。


「懐かしき故郷」作詞作曲 普久原朝喜

夢に見る沖縄(ウチナー) 
元姿(モトシガタ)やしが 
音(ウト)に聞(チ)く沖縄 
変て無(ネ)らん 
行(イ)ちぶさや 生(ウンマ)り島

(訳)
 夢に見る故郷・沖縄は元の姿のままだが 
 便りに聞く沖縄は 
 戦争ですっかり変わり果て 見る影もないという 
 飛んでいきたい わが生まれ島よ

何時(イチ)が自由なやい 
親兄弟(ウヤチョウデー)ん揃(スル)て 
うち笑いうち笑い 暮らすくとや
行(イ)ちぶさや 古里に

(訳)
 いつの日か自由になって 親兄弟みんな揃って 
 大いに笑いながら 暮らそうではないか 
 行ってみたい 私の古里に

 銀色の長髪をなびかせて歌う古謝さんは、まさに神人(カミンチュ)の風格だ。そんな彼女が「神の島には硬いものを打ち込んではいけない」と言いきる。この島では、神の存在を恐れ敬う気持ちが、人間だけの都合で暴走し自然を破壊することにブレーキをかけてきた面がある。たとえ政治や法律が自然破壊を正当化しようとも「神」は許さない。人を謙虚にするこの感覚が失われていない沖縄が私は好きだ。
 古謝さんはまた、「基地があるから生きていけるんでしょう?」と言われ続けることを悲しみながらも「勘違いしている人たちには怒ってかみついても届かない。優しく、グサリグサリと広めていく」と話して会場の笑いを誘っていた。

 そして、いつも穏やかな稲嶺市長が珍しく怒りを込めてこう言った。
 「自衛隊にはアレルギーがないかも知れないが、国はこれを国防軍にすると言う。そうなったら行き着く先は徴兵制です。それがイメージできているのか。辺野古の行き着く先をちゃんとイメージしないといけない」と踏み込んで疑問と憂慮を語ってくれた。

 今回の映画にも出てくるのだが、沖縄の戦争が終わって人々が自分の村に帰るまでの間、敗残兵だけではなく県民も「捕虜(Prisoner of War)」、PWとして収容所に閉じ込められていた。親兄弟と死に別れた上に、衣食住もままならない屈辱的な生活。まさに生き恥をさらし続けるような惨めな思いを味わったからこそ、当時15歳だった主人公の文子おばあは「生き残っていいことは何一つなかった」と呻く。
 鶏小屋よりも粗末な木の枠に毛布を掛けたような家だったと文子さんは話してくれた。彼女にとっては思い出したくもない収容所の日々なのだが、この時代にも実に多くの沖縄民謡がうまれている。歌ってやり過ごす以外に方法がなかったのだろう。古謝さんが最後に歌って下さったのは、そんな収容所からうまれた歌の代表曲である。

「PW無情~屋嘉節」

懐ちかしや沖縄(ウチナー) 戦場(イクサバ)になやい 
世間御万人(シキンウマンチュ)ぬ ながす涙
PW 哀りなむん

(訳)
 懐かしい故郷・沖縄が戦場になってしまった 
 どんなに世間のたくさんの人々が涙を流していることだろう
  捕虜になり なんと哀れな姿だろう

勝ち戦(イクサ)願(ニガ)て 山ぐまいさしが
今(ナマ)や囚われりてぃ 捕虜になとうさ 
PW無情なむん

(訳)
 勝ち戦だと信じて 山に息を潜めて籠もって居たが
 今は囚われて 捕虜になってしまった
 捕虜というのは なんと無情なものだろう

転調

無蔵(ンゾ)や石川村 (イシチャームラ)茅葺きの長屋
我んや 屋嘉村の砂地枕



(訳)
 貴女の収容所は 石川村茅葺きの長屋 
 私は屋嘉村の収容所で 砂地を枕にして寝ます

心勇みゆる 四本入り煙草
さみしさや 月に流ちいちゅさ


(訳)
 心を励ましてくれるのは 四本入り煙草だけ
  淋しさは 月に流していこう


 観光客が700万人を突破し、人気俳優や歌手、プロゴルファーも輩出して、沖縄のイメージはかつてなく明るく、太陽のように輝いている。そんな中で「三上さんは〈標的〉とか〈戦場〉とか、どんな暗いイメージを沖縄に植え付けたいの?」と怒られることもある。 
 でも、今沖縄に押しつけられようとしている出撃基地やミサイル部隊を許し、戦争をする国ニッポンの最前線になってしまえば、それから観光産業が壊滅したと嘆いても、もう元に戻ることはないのだ。
 あの沖縄戦から必死に離れようと、復興の道を70年ひた走ってきたはずの沖縄だけれど、民主主義は機能せず、平和的生存権も財産権も回復していない。日本と米国の軍事戦略の拠点としてあらゆる制約を課されたままのこの島は、復帰しても占領状態と変わらないという人も多い。果たして、沖縄県民は背中にPWと書かれたあの服を脱ぎ捨てきれたのだろうか。

 このステージではもうひとつサプライズがあった。公開初日を祝う電報がハワイを外遊中の翁長雄志沖縄県知事から会場に届いたのだ。トークライヴの最後にそれを紹介すると、会場から大きな歓声が上がった。私も嬉しかったけれど、会場の熱には驚いた。今、日本のどこの県知事が、自分が参加できない催し会場に電報を送って熱狂的な拍手を受けることがあるだろうか。翁長知事は前もって観て下さっていて、お祝いとねぎらいの他に「この映画に込められた沖縄の現状、沖縄県民の心情が広く発信されていくと信じています」と期待も添えられていた。

 岐路に立つ沖縄。再び国防の犠牲になれという政府に運命を託すわけにはいかない。翁長知事を先頭に険しい道を切り開いて行く県民にとって、この記録映画が支えとなり、勇気となり、足元を照らず存在になってくれればと祈る気持ちである。


by asyagi-df-2014 | 2015-08-02 05:39 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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