本からのもの-データで読む 沖縄の基地負担

著書名;データで読む 沖縄の基地負担
著作者;沖縄探検社編
出版社;沖縄探検社

 安保関連法案の強行採決を始め、沖縄の基地問題をあらためて確認する必要があると考えさせられる状況が緊迫化してきている。
 最近では、「構造的沖縄差別」という認識のもとに、確かに沖縄を捉えることができる。
 例えばそれは、「『構造的沖縄差別』に即していえば、日本、米国、沖縄、基地など様々な要素が織りなす構造において、沖縄への基地押しつけを中心とする差別的仕組みは、日米安保体制維持のための不可欠の要素とされてきた。そしてそれは、時の経過とともに、『沖縄の米軍基地に対する存在の当然視』という思考停止を生んだ。」という新崎盛暉の現状認識を、沖縄のデータで、裏付けるということでもある。

 本土の人間が知ろうとしない沖縄の実態の一つ。
 この本の「第2章 減らない騒音被害」で、次のように告発する。
「2006(平成18)年5月には、嘉手納基地に駐留する戦闘機訓練を本土へ分散移転する在日米軍再編最終報告書に合意。・・・しかし、訓練の県外移転が実施されても、それ以上に外来機がやってきているのである。冷戦終結後、軍事予算を削減するために米国内の基地が次々と閉鎖され、そのしわ寄せで嘉手納基地が利用されていると指摘する識者もいる。」
 
 その実態は、「『沖縄の負担軽減』を目的として、普天間基地に駐留するKC130空中給油機全15機を岩国基地へ移駐したと米海兵隊は同年8月26日、発表したが、わずか2日後の8月28日には、KC130が普天間基地に飛来した。」ということに過ぎない。
 いやむしろ、「沖縄の負担軽減」によって、沖縄の基地被害は拡大している。

 特に、「沖縄は基地で潤ったか」、「海兵隊の移転」ということについて、取りあげる。
「沖縄は基地で潤ったか」について、逆に、「普天間基地の県内移転を含め、沖縄県内に米軍基地が集中することをやむなしとの見方もある。主な理由の一つとして沖縄が基地によって潤っていることが挙げられる、本等だろうか」と、問題提起する。
 
 「沖縄は基地で潤ったか」について、次のように押さえる。
「沖縄が本土に復帰した1972(昭和47)年度から2010(平成22)年度まで国が投下した沖縄関係予算を集計した結果、その総計は15兆8000億円となった。この額は、同じ時期における国の一般会計予算額総計2469兆9000億円0.6%にすぎない。沖縄県が全国に占める割合は人口が1.0%、面積が0.6%であることを考慮すれば、決して財政的に優遇されているとはいえない。国家予算に占める沖縄関係予算の割合は基地関係費用を除くと、さらに0.4%に下がる。」

「財政の膨張は、復帰による沖縄経済の変化の最大のものであり、かつ他の諸側面の変化を促した最大の要因である。しかしながら、このことをもって復帰後の沖縄が国から特別に大きな財政的援助を受けているかのように論ずることはできない。これは第1に、決して他府県に比べて突出した額ではないし、したがって第2に、復帰前すなわち米軍占領下における琉球政府財政が、需要に対していかに貧弱であったかを示すものにほかならない」(沖縄国際大学教授だった来間泰男氏の指摘)

「基地関連予算も沖縄を潤しているとは言いがたいのが現状である、沖縄タイムス2011(平成23)年6月15日、16日の記事によれば、近年、米軍の建設関連工事発注額は年間700億円から800億円といわれるが、県内企業による受注総額は10~15%程度にとどまり、ほとんどが少額工事。過去10年間で総額655億円に上がった嘉手納基地の住宅改修工事では、受注額の96%を本土企業がしめた。」

 こうした問題の根底には、「県内企業の受注にとって壁となっているのが、ボンド(履行保証)制度」がある。
 これは、「米国内法では、連邦政府の10万ドル以上の工事について、入札金額と同額の履行保証保険(契約が履行されない場合、保険会社が入札金額と同額の補償金を支払う)証書を提示することを請負業者に義務づける、ボンドが可能かどうかが業者選定の基準になっている。」ことから、沖縄の企業にとっては、「本土企業に比べ資金力の乏しい県内企業は数十億円のボンドはほとんど不可能」ということになることを示している。
 結局、「2003(平成15)年ごろまでは発注額が20億円未満だったため、県内企業も落札可能だったが、2004(平成16)年ごろから発注額が100億円前後に跳ね上がったため、入札さへ参加できない。結局、県内の企業がかかわれるのは下請や孫請けとしてである。しかし、単価は安く『骨と皮だけで身がない』。割に合わないと途中でやめる企業もあるという」というのが、沖縄の実際の姿である。
 これでは、沖縄が基地で潤っているとは、到底言えない。

 次に、「海兵隊の移転」については、次のように説明する。
まず、「注目したいのは、海兵隊は米国本土から直接ではなく日本本土から移転した点である。」と、指摘する。また、この背景には、「本土の反基地運動があるとみられる。」とする。
「本土から米軍地上部隊が撤退」し、「なぜ海兵隊が沖縄に移転した.こと」については、次のように記述する。

「反基地・反原水爆運動の広がりは、日米安保体制そのものを揺るがしかねないという危惧が日米両政府に湧き上がり、日本本土の米軍基地は縮小に向かっていった。1957(昭和32)年、岸信介首相が米国を訪問した際、陸軍と海兵隊を合わせた地上部隊を1958(昭和33)年中に日本から撤退させることを日米共同声明で発表した。一方、沖縄政策について新たな展開は見られなかった。」
 この間の実情、政府が考えていた沖縄感そのものを、「実際問題についてみても、いま施政権の一部を返してもらって軍政と分かれるわけにもいかないし、日本に返したからといって非常によくなるとは自信を持って言いきれない」という岸首相の本音が物語っている。このことは、日本の政権主体がずっと持ち続けてきた考え方であった。

 「本土から米軍地上部隊が撤退」したのかについて、次のように説明する。

「日本本土は東アジアの軍事拠点として制限が多いことから、自由に使える基地沖縄は手放せない。日本政府側からすれば、沖縄の施政権を米国に渡したままにすれば、核兵器の受入など軍備の増強を求める米国の圧力を和らげられる、という論理である。日米首脳会談後、本土の在日米軍基地が大幅に縮減される一方、沖縄では海兵隊基地の建設やナイキミサイル配備など基地強化が進められ、両者の違いが一層鮮明になった。」

 また、「なぜ海兵隊が沖縄に移転したか」について、次のように説明する。

「1950年代後半、海兵隊が移駐を開始すると、沖縄において海兵隊が管理する施設は拡大していき、1975(昭和50)年、沖縄全体の総括権も陸軍から海兵隊に移管された。現在、沖縄の最大部隊は海兵隊である。」

「なぜ海兵隊が本土から沖縄へ移ったのか。明確な理由を示した米軍関係文書は見つかっていないが、沖縄の法が配備しやすかったというのが専門家の見方のようだ。項目『本土における反基地闘争のうねり』で見たように、駐留米軍に対する反発はかってないほど高まっていた。朝鮮戦争によって、後方支援基地として②本の価値を再確認したがゆえに、地上軍を配備し住民の反発や関係悪化を招くことは避けたいと考え、当時は米軍が統治し司令官の判断ひとつで決定・実施できる沖縄を配備先として選んだとみられる。簡単にいえば、つくりやすいところにつくたったということである。」

 結論として、沖縄の米軍基地は、「つくりやすいところにつくたった」もののであるということ。
 この理屈からするならば、沖縄の米軍基地をなくすことについて、自己決定権という概念から、沖縄県の「理」が通ることは当たり前のことである。
 もちろん、辺野古新基地建設など到底許されるものではない。


by asyagi-df-2014 | 2015-07-19 05:40 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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