本等からのもの-「ヘイト・スピーチとは何か」

著書名;「ヘイト・スピーチとは何か」
著作者;師岡康子
出版社;岩波書店


 師岡の主張は、その「あとがき」に込められている。
 師岡は、ヘイト・スピーチの法規制について、まず押さえなければならないことは、「ヘイト・スピーチとは差別であり、まず、そして何より考えるべきは、差別によりもたされるマイノリティ被害者の自死を選ぶほどの苦しみをどう止めるかということではないだろうか。」と、説く。
この上で、「ヘイト・スピーチ法規制には濫用の危険性があり、それを防ぐ工夫をすべきことは、ラバト行動計画などで見るように、国際社会の問題意識となっている。しかし、同時に、社会の共通認識は、ヘイト・スピーチを放置してはならず、濫用を防ぎつつ、国が規制すべきだということである。」と、押さえる。

 この「差別によりもたされるマイノリティ被害者の自死を選ぶほどの苦しみ」については、「ヘイトをあびると毎回胸の内側に黒いヘドロを塗り込められたみたいになって、こびりついてなかなか取れないから数日は吐き気がする。」という在日女性の声を載せる。
 あわせて、ジャーナリストの安田浩一氏の次のような経験も紹介されている。
 「在日朝鮮人の女性とともに排外主義デモの取材に出かけた際に、彼女自身が名指しで攻撃されなかったことにホットした気持ちから、終了後、『個人攻撃されなくてよかったね』と声をかけたところ、 彼女から『ずっと攻撃されてたやん、朝鮮人殺せっていわれてたの、全部全部私のことやん』と泣きながら抗議されたと自戒を込めて語っている」

 こうした声のもとに、師岡は、ヘイト・スピーチ法規制について、「何よりヘイト・スピーチによる実害が日々生じている中、法規制抜きの啓蒙や植民地主義の精算等の追及だけでは、直ちにヘイト・スピーチを止めることはできない。被害者に、差別する者が悔い改めるまで、もしくは差別構造がなくなるまで我慢しろということは不当である。」と、その必要性を主張する。
 第4章の「法規制慎重論を考える」では、さまざまな法規制慎重論について、一つずつ反論を加えている。

 私自身はこれまで、一連の差別行為に対しては、命を奪う犯罪として捉えるべきではないかと考え、ヘイト・クライムとして表現してきたが、師岡は、ヘイト・スピーチ、ヘイト・クライムの違いについて、アメリカの研究を基に、その違いを次のように明確に区分する。
 「ブライアン・レヴィンは、ヘイト・スピーチと暴力の関係を、『人種的偏見、偏見による行為、差別、暴力行為、ジェノサイド』の五段階の『憎悪のピラミッド』デ説明している。このように、ヘイト・クライムもヘイト・スピーチもこの憎悪のピラミッドの中に位置づけられ、人種、民族、性などのマイノリティに対する差別に基づく攻撃を指している。このような経緯から、マイノリティに対する差別であり攻撃であるという両者の本質は共通するが、『ヘイト・クライム』は主要に有形力を伴う犯罪、『ヘイト・スピーチ』は有形力を伴わない言動による暴力を指す。ヘイト・スピーチは必ずしも犯罪ではなく、厳密に言えば、ヘイト・クライムの一部ではない」
  
 こうした法規制の問題についての判断基準は、やはり、師岡の指摘するように「差別によりもたされるマイノリティ被害者の自死を選ぶほどの苦しみをどう止めるかということ」に、置くべきである。






by asyagi-df-2014 | 2015-07-04 10:42 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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