沖縄から-「言論の自由は住民と新聞が一緒に、一歩ずつ、勝ち取ってきた」

本日(6月30日)、一日遅れで沖縄タイムスが届いた。
 いつも思うのだが、確かに電子版は主要記事を把握するのには、早いかもしれないが、新聞そのものの面白さは、本紙を見ながら面白い探すことに尽きるような気がする。
 この29日付けの沖縄タイムスの「大弦小弦」は、読んで納得し、これは広める必要があるなと感じた記事でした。
 そこに書き込まれていたのは、「言論の自由は住民と新聞が一緒に、一歩ずつ、勝ち取ってきた」という新聞人としての矜恃でした。
 
 「大弦小弦」は、静かに始める。
「新聞は県民の声でできている。『2紙をつぶすというのは民意をつぶすのと同じだ』。こちらが圧倒されるくらい怒ってくれる人がいる。ライバルの2紙が異例の共同抗議声明を出したのも、個々の会社ではなく県民全体への侮辱だからだ」
 「大弦小弦」は、沖縄の新聞の成り立ちをこう説明する。
「沖縄本島では戦後、10以上の新聞が生まれた。支配者である米軍の側に立つ新聞もあって、今の2紙が残った。つぶすかどうかは、権力者ではなく住民が決める」
 「大弦小弦」は、今の新聞のあり方についても話す。
「2紙の創刊時は米軍が検閲し、紙の供給も握っていた。当初、論調は遠慮がちだった。だが、事件・事故に怒る住民に背中を押され、不条理を告発できるようになった。言論の自由が、憲法と共に天から降ってきた本土とは違う。住民と新聞が一緒に、一歩ずつ、勝ち取ってきた」
 「大弦小弦」は、だから、沖縄の新聞はこう考えているのだと。
 「事件・事故などの基地被害は、思想信条で我慢できるものではない。拒否するのは生活者として当たり前だ。『沖縄の世論はゆがみ、左翼勢力に完全に乗っ取られている』と中傷した自民党の長尾敬衆院議員は、県連や支持者にも唾したに等しい 」
 「大弦小弦」は、じっくり話しかける。
 「沖縄が思うままにならないからと、いら立ちをぶつけても逆効果でしかない。新聞も県民も変わらない。なぜ同じ愚を繰り返すのだろう。」

 以下、沖縄タイムスの引用。








「大弦小弦」-2015年6月29日

 「つぶされないでよ」。作家の百田尚樹氏が県内2紙を「つぶさないといけない」と発言してから、よく声を掛けられる
 ▼新聞は県民の声でできている。「2紙をつぶすというのは民意をつぶすのと同じだ」。こちらが圧倒されるくらい怒ってくれる人がいる。ライバルの2紙が異例の共同抗議声明を出したのも、個々の会社ではなく県民全体への侮辱だからだ
 ▼沖縄本島では戦後、10以上の新聞が生まれた。支配者である米軍の側に立つ新聞もあって、今の2紙が残った。つぶすかどうかは、権力者ではなく住民が決める
 ▼2紙の創刊時は米軍が検閲し、紙の供給も握っていた。当初、論調は遠慮がちだった。だが、事件・事故に怒る住民に背中を押され、不条理を告発できるようになった。言論の自由が、憲法と共に天から降ってきた本土とは違う。住民と新聞が一緒に、一歩ずつ、勝ち取ってきた
 ▼事件・事故などの基地被害は、思想信条で我慢できるものではない。拒否するのは生活者として当たり前だ。「沖縄の世論はゆがみ、左翼勢力に完全に乗っ取られている」と中傷した自民党の長尾敬衆院議員は、県連や支持者にも唾したに等しい
 ▼沖縄が思うままにならないからと、いら立ちをぶつけても逆効果でしかない。新聞も県民も変わらない。なぜ同じ愚を繰り返すのだろう。(阿部岳)


by asyagi-df-2014 | 2015-06-30 17:40 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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