沖縄から-「慰霊の日」を感じ取るために(3)

2015年6月23日及び6月24日の各地方新聞の社説及び論調を通して、「慰霊の日」をどのように捉えているかについて、考えてみる。
 ここに掲げた各地方紙は、その論調の強さに違いはあれ、沖縄の状況や引いては日本の状況について、概ね共通的な論調を持っている。
 安倍晋三政権への「異論」である。
 まとめてみれば、次ようなものである。

(事実認識)
①沖縄は終戦後も苦難の歴史を歩んできた。国土面積の0・6%の県土に、全国の米軍専用施設面積の74%が集中している。そして政府はいま、宜野湾市の普天間飛行場の代わりとして、名護市辺野古沖に新たな基地を造ろうとしている。昨年の知事選や衆院選の沖縄4小選挙区全てで辺野古移設反対派の候補者が当選し、民意が示されたにもかかわらずである
②「なぜ沖縄は、こんな目に遭わなければならなかったのか」。本土の盾となった沖縄で、この日は県民が遺恨の念を胸に刻む日でもある。
③住民を守るはずの日本兵が、泣き声が敵に聞かれるとして赤ん坊を殺害したり、住民を壕から追い出したりしたとの証言も残っている。沖縄では、あちこちでこうした悲劇の現場に行き当たる。
 戦争の本当の恐ろしさとは、人間が人間性を失うことだ。
 ガマの暗闇に立ち、そこに響いた絶望の声を想像すれば、戦争の実相に少しだけ近づける。

(主張)
①秋田魁新報
・翁長氏は「沖縄は孤立している。1人で政府と闘っている。こうした状況を地方自治の危機と捉え、日本全体で考える必要がある」と話す。この訴えの通り、基地問題は国民が共有すべきものだという認識を持てるかどうかが問われている。
・辺野古移設以外に方法はないのか。そもそも日本国内に現行規模の米軍兵力を駐留させる必要性が本当にあるのか。同じ地方に暮らす者として、沖縄の人々と思いを重ね、政府に疑問をぶつけていくべきだ。これ以上、沖縄に孤立感を味わわせてはならない。
②岩手日報
在日米軍の再編に伴い海兵隊の主力がグアムに移転すれば、残るのはほぼ通年、海外遠征を主務とする部隊になるという。地元紙出身のジャーナリスト屋良朝博氏は「兵力がなくなるのを抑止力とは言わない」と解説した。
 そうした認識に立てば、国が「国益」を前面に出して専権的に基地建設を強行する理屈は通りにくい。
③山陽新聞
沖縄県内の激戦地跡では毎年100~200人の戦没者の遺骨が見つかっているが、地中にはまだ約3千人分の遺骨があるとされる。大量の不発弾も残され、戦後、爆発事故で710人が犠牲になった。処理にはさらに70年を要するとみられている。
 本土で暮らす私たちも沖縄戦の歴史を共有し、沖縄の苦悩に心を寄せる日としたい。
④西日本新聞
国会では、戦争の実体験を持つ世代はごくわずかになった。安保法制をめぐる国会審議を聞くと、法案に賛成する側も反対する側も、言葉が軽いのが気になる。
 「抑止力」「自衛」「平和」「戦争」-。実体験の裏打ちのない言葉で、戦後日本の平和主義を左右する法案を論議することに、危うさを覚えざるを得ない。
 安全保障について語る議員は、今こそ沖縄を訪れ、そこで起きたことを聞き、戦争の実相に思いをめぐらす努力をすべきだろう。
 ガマの暗闇の中で耳を澄ましてほしい。死者たちの声に。
⑤北海道新聞
・いま、沖縄では基地問題をめぐって政府への不満がこれまでにないほどに強まっている。「もう我慢できない」。それが県民の正直な気持ちだろう。
 戦争を知る年代層が減り、沖縄の犠牲に報いようとする国民感情が薄れていないか。世代を超え戦争の惨禍を伝えることが大事だ。
 政府は沖縄の70年の歴史を直視し、これ以上の負担を強いる政策を進めてはならない。
・たとえ普天間基地の返還が実現しても、辺野古に新たな機能を持った施設ができれば引き続き沖縄の負担は続くからだ。
 本当に負担軽減を実現するなら、県外、国外に移設する以外にないことを政府は認識すべきだ。
⑥福井新聞
日米同盟を強化し、安保政策の大転換に突き進む安倍政権。今後も強権力で沖縄の抵抗を排除し、近隣国の侵攻を防ぐ「抑止力」として本土の盾になることを強要するのだろう。戦後70年を経てなお沖縄は心の傷が癒えないままだ。

 沖縄タイムス及び琉球新報の社説には、ここでは言及しない。
 わかりにくいことがあったら、この二紙にたどり着けばいい。
 
 以下、各新聞社の社説の引用。






秋田魁新聞社説-沖縄慰霊の日 基地問題考える契機に-2015年6月23日


 沖縄はきょう、戦後70年の「慰霊の日」を迎える。太平洋戦争で沖縄に上陸した米軍と日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる1945年6月23日にちなんでいる。この沖縄戦では一般県民や日米両軍兵士を合わせて20万人以上が命を落とした。

 沖縄は終戦後も苦難の歴史を歩んできた。国土面積の0・6%の県土に、全国の米軍専用施設面積の74%が集中している。

 そして政府はいま、宜野湾市の普天間飛行場の代わりとして、名護市辺野古沖に新たな基地を造ろうとしている。昨年の知事選や衆院選の沖縄4小選挙区全てで辺野古移設反対派の候補者が当選し、民意が示されたにもかかわらずである。

 きょう糸満市で行われる追悼式典は、その民意を再確認する場にもなりそうだ。翁長雄志(おながたけし)知事は平和宣言で移設中止を求める意向だ。出席する安倍晋三首相は沖縄の民意を肌で感じ取り移設を再考する必要がある。

 今月11日に翁長氏から直接話を聞いた。翁長氏は「沖縄は基地で食べているんでしょう」と言われてきたという。こんな認識が本土に根強く残ることが寂しく、悔しいと語っていた。

 沖縄県によれば、米軍施設はもはや、経済成長を阻害する要因でしかない。立地する場所の多くは産業振興の面で利便性が高く、基地をはるかに上回る富を生んでいるからだ。

 例えば大型商業施設や飲食店が連なる「那覇新都心」地区は1987年まで米兵の住宅地だった。当時の軍用地代などの基地関連収入と、跡地にできた事業所の売上高などを比べると、返還後の経済効果は32倍の1634億円に上るという。

 民主党政権時代の2012年、当時の森本敏防衛相は辺野古移設の必要性を問われ「軍事的には沖縄でなくてもいいが、政治的に考えると沖縄が最適」と述べた。他県は受け入れないから、長く基地を置いている沖縄が手っ取り早いとの論理だ。安倍政権でもその認識は変わっていないのではないか。

 翁長氏は「沖縄は孤立している。1人で政府と闘っている。こうした状況を地方自治の危機と捉え、日本全体で考える必要がある」と話す。この訴えの通り、基地問題は国民が共有すべきものだという認識を持てるかどうかが問われている。

 支援の輪は徐々に全国へ広がってきた。反対運動の資金に充てるため4月に設けられた「辺野古基金」には3万5525件、3億4512万円(今月17日現在)が寄せられている。件数の7割は県外からだ。こうした機運をさらに高めたい。

 辺野古移設以外に方法はないのか。そもそも日本国内に現行規模の米軍兵力を駐留させる必要性が本当にあるのか。同じ地方に暮らす者として、沖縄の人々と思いを重ね、政府に疑問をぶつけていくべきだ。これ以上、沖縄に孤立感を味わわせてはならない。

岩手日報論説-基地と地方自治 「国益」一辺倒は通らぬ-20156年6月23日


 終戦直前、日本で唯一地上戦が行われた沖縄県にとって今日23日は特別な日だ。日本軍は同日、司令官が自決して組織的戦闘が終結。同県は条例で休日と定め、「沖縄慰霊の日」として700人に迫る本県関係者を含む約20万人の犠牲者の霊を慰める。

 沖縄戦の死者の約半数は沖縄県人とされる。当時の県人口は約50万人。統計によっては4分の1が、この戦禍に関連して命を落としたとも言われている。

 「なぜ沖縄は、こんな目に遭わなければならなかったのか」。本土の盾となった沖縄で、この日は県民が遺恨の念を胸に刻む日でもある。

 戦後70年。安倍政権は集団的自衛権行使を可能とする方向で日米同盟強化を目指す。

 本島南部宜野湾市の米軍普天間飛行場を、北東に約50キロ離れた名護市辺野古沖に移す計画は、約20年に及ぶ国と県の対立を背景に、同盟関係を象徴する意味合いがある。

 日本記者クラブ取材団の一員として、辺野古沖の埋め立て予定海域で反対派住民の漁船に同乗。国側の警備艇とのにらみ合いを間近にした。

 辺野古沿岸の米軍施設を守るように、沖合に約10キロにわたって浮きが張り巡らされ、その内側で沖縄防衛局の艇がビデオカメラを回しつつ記者団につきまとう。日本とは政治体制の異なる別の国にいるような錯覚を覚えた。

 同防衛局の井上一徳局長は「辺野古移設の目的は、普天間の危険除去のため」と語った。普天間は市街地のど真ん中に位置。2004年には近くの大学に米軍のヘリコプターが墜落、炎上した。

 各選挙で示された埋め立て拒否の民意を背景に、反対運動の先頭に立つ翁長雄志知事に対し、国側は「普天間の固定化を招く」とけん制する。普天間の危険性より、在沖縄米軍の「抑止力」という日本の国益が重要-とも響く。

 しかし沖縄では、抑止力そのものに懐疑的な見方が広がっている。この点こそ、沖縄の世論が政府方針に抱く不信の根幹だろう。

 在日米軍の再編に伴い海兵隊の主力がグアムに移転すれば、残るのはほぼ通年、海外遠征を主務とする部隊になるという。地元紙出身のジャーナリスト屋良朝博氏は「兵力がなくなるのを抑止力とは言わない」と解説した。

 そうした認識に立てば、国が「国益」を前面に出して専権的に基地建設を強行する理屈は通りにくい。

 翁長知事は「地方自治という観点で、このままでは日本がおかしくなるという危機感が、本土にはないような気がする」と語った。震災対応と原発事故に絡み国のスタンスが変わりつつある現状で、心に留め置く必要がある。


山陽新聞社説-沖縄「慰霊の日」 地上戦の実相を知らねば-2015年6月23日


 沖縄県は23日、「慰霊の日」を迎えた。太平洋戦争末期、日本最大の地上戦が行われた沖縄戦で、組織的戦闘が終結した日である。

 沖縄は戦後、約27年にわたって米国の施政権下に置かれ、現在も多数の米軍基地を抱え、過重負担を訴えている。すべての問題の原点にあるのが沖縄戦だが、本土に住む私たちは、その実態をどこまで知っているだろうか。

 1945年春、米軍が沖縄本島などに上陸し、約90日間にわたる戦闘が行われた。日米合わせた戦没者は約20万人、このうち沖縄県民は約12万人で、県民の4人に1人が犠牲になった。

 日本軍にとって沖縄戦は、米軍の本土上陸を少しでも遅らせるための時間稼ぎだったとみられている。米軍の上陸部隊約18万3千人に対し、日本側は約10万2千人で兵力の違いは歴然だった。日本軍は戦闘を長引かせ、米軍を消耗させる持久戦に徹した。

 兵力不足を補うため、「根こそぎ動員」と評されるほど、民間人も動員された。中学生以上の未成年者も「鉄血勤皇隊」や「学徒隊」として戦場に駆り出された。

 沖縄県糸満市のひめゆり平和祈念資料館を訪れた時、元学徒の仲里正子さん(88)が体験を語ってくれた。負傷兵の切断された手足を運ぶ過酷な任務に就いたが、本当の“地獄”はその後だった。

 6月半ば、米軍が間近に迫ると学徒には「解散命令」が出された。弾が飛び交う中、10代の学徒たちは自身の判断で逃げ回るしかなかった。周りで人が撃たれ、次々に倒れた。追い詰められ、集団自決もあった。仲里さんは足を撃たれながらも洞窟などに潜み、命をつないだという。

 「体験するまで戦争がこんなにむごいものとは知らなかった。戦争を知らない世代に、戦争の実相を知ってほしい」と仲里さんは訴える。

 本土もまた、岡山市をはじめ主な都市が空襲で焼かれ、広島、長崎は核兵器の惨禍に見舞われたが、沖縄の地上戦の凄惨(せいさん)さを私たちは記憶に刻まなければならないだろう。

 岡山県出身者らも沖縄で命を落としたことを知っておきたい。糸満市の平和祈念公園にある石碑「平和の礎(いしじ)」には戦没者約24万人の氏名が刻まれ、その中には岡山県出身1838人、広島県出身1352人、香川県出身1384人がいる。

 沖縄県内の激戦地跡では毎年100~200人の戦没者の遺骨が見つかっているが、地中にはまだ約3千人分の遺骨があるとされる。大量の不発弾も残され、戦後、爆発事故で710人が犠牲になった。処理にはさらに70年を要するとみられている。

 本土で暮らす私たちも沖縄戦の歴史を共有し、沖縄の苦悩に心を寄せる日としたい。


西日本新聞社説-沖縄慰霊の日 「ガマの暗闇」と戦後70年-2015年06月23日


 アブチラガマの中に入る。奥へ奥へと進み、懐中電灯を消すと、本当の暗闇に包まれた。

 ガマとは、沖縄の言葉で自然の洞穴やくぼみのことである。70年前の沖縄戦では、日本軍がこうしたガマや掘った壕(ごう)を作戦陣地や野戦病院として利用した。多くの住民の避難場所にもなった。

 沖縄本島南部の南城市にある糸数アブチラガマは、全長270メートルに及ぶ洞窟だ。沖縄戦下、ここに陸軍病院の分室が置かれ、約600人の負傷兵が運び込まれた。

 食糧も医薬品もまるで足りない状況下、高熱でうなされ、けいれんを起こす患者の叫び声が洞窟にこだました。ガマには死臭、腐臭、ふん便の悪臭が充満した。

 さらに戦況が悪化すると、軍関係者はこのガマを出て、沖縄本島最南端へと移動した。重症の患者はガマの最奥部に残された。

 住民の証言では、明かり一つない暗闇の中から、置き去りにされた患者たちの「牛の鳴き声のような声」が聞こえてきたという。

 特にアブチラガマだけが悲惨だったわけではない。沖縄戦末期、多くのガマや壕に追い詰められた住民は、まさに地獄と呼ぶべき体験を強いられた。

 住民を守るはずの日本兵が、泣き声が敵に聞かれるとして赤ん坊を殺害したり、住民を壕から追い出したりしたとの証言も残っている。沖縄では、あちこちでこうした悲劇の現場に行き当たる。

 戦争の本当の恐ろしさとは、人間が人間性を失うことだ。

 ガマの暗闇に立ち、そこに響いた絶望の声を想像すれば、戦争の実相に少しだけ近づける。

 ▼国策に根強い不信

 太平洋戦争末期の沖縄で、米軍と日本軍との組織的な戦闘が終結したのは、1945年6月23日である。沖縄戦終結から70年の節目となるきょう、沖縄では「慰霊の日」の式典が行われる。安倍晋三首相も出席する予定だ。

 沖縄県民は今も沖縄戦と米軍占領の負の遺産である過剰な基地負担にあえぐ。狭い沖縄県に在日米軍専用施設の約74%が集中する。

 安倍政権はこの節目の年に、戦後の安全保障政策の大転換を目指している。「積極的平和主義」の名の下に自衛隊の海外活動を拡大し、国際社会における日本の存在感を高めるのが狙いである。

 そのために今国会で成立させようとしているのが新たな安全保障法案だ。「違憲」の指摘をものともせず、集団的自衛権の行使を可能にして日本と米国の軍事協力をさらに推し進めようとしている。

 政府は、中国の海洋進出を理由に「沖縄は地理的に重要」として、沖縄の米軍基地の必要性を説く。「県外に」という沖縄の声を無視し、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画を「粛々と」進める構えだ。

 沖縄はまた「国策」の犠牲にされるのではないか-。70年前、本土決戦の「捨て石」とされた沖縄が政府に抱く不信感は根強い。

 ▼戦争の実相に目を

 沖縄では今も、戦争体験を次世代に語り継ぐ営みが続けられている。那覇市の仲里正子さん(88)はひめゆり学徒隊の一人として地上戦に巻き込まれ、本島南部を逃げ惑った。防空壕の野戦病院では、兵士の切断された手足を運んだ。その重みが手に残っている。

 国会で続く安保法制論議について、仲里さんはこう語る。

 「抑止力が必要と言うが、沖縄戦では陣地のあるところはすごく攻撃を受けていました。何かあったら、沖縄はまた攻撃の的にされるんじゃないかと思います」

 地元紙によれば、近年、これまで話さなかった過酷な経験について口を開くお年寄りも増えているという。「今話しておかなければ」という切実な思いなのだろう。

 国会では、戦争の実体験を持つ世代はごくわずかになった。安保法制をめぐる国会審議を聞くと、法案に賛成する側も反対する側も、言葉が軽いのが気になる。

 「抑止力」「自衛」「平和」「戦争」-。実体験の裏打ちのない言葉で、戦後日本の平和主義を左右する法案を論議することに、危うさを覚えざるを得ない。

 安全保障について語る議員は、今こそ沖縄を訪れ、そこで起きたことを聞き、戦争の実相に思いをめぐらす努力をすべきだろう。

 ガマの暗闇の中で耳を澄ましてほしい。死者たちの声に。


琉球新報社説-慰霊の日 犠牲の再来 許さない 沖縄戦の教訓を次代へ-2015年6月23日


 米軍の戦史に「ありったけの地獄を集めた」と刻まれた沖縄戦から70年、慰霊の日がまた巡ってきた。ことしはとりわけ胸が騒ぐ。節目の年だから、ではない。沖縄戦の教訓を無にするかのような動きが活発化しているからだ。
 先人の無念を無駄にしてはならない。戦争を憎み、平和な島を建設するという「あまりにも大きすぎた代償を払って得た/ゆずることのできない/私たちの信条」(県平和祈念資料館・展示むすびのことば)を思い起こしたい。

強いられた「共死」

 沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」である。言い換えれば「軍の駐留は住民の犠牲を招く」ということだ。これは抽象的なスローガンではない。戦場の実態に即した事実である。
 沖縄戦で壊滅的被害を受けた島と日本軍が駐留していた島は、見事なほど一致する。駐留のない島の被害は軽微だ。駐留と被害は明らかに連動したのである。
 別の背景もある。沖縄戦直前、軍部は住民に壕を掘らせ、戦争準備を強いた。従って住民が投降すれば、どこに司令官がいてどこに武器弾薬があるか、敵軍に知られてしまう。だから住民が生き残るよりは住民の全滅を願ったのだ。
 それを裏打ちする文書がある。日本軍の「報道宣伝防諜(ぼうちょう)等に関する県民指導要綱」だ。「軍官民共生共死の一体化」とある。意図的に住民へ「共死」を強いたのだ。
 もっと本質的な問題もある。大本営は「帝国陸海軍作戦計画大綱」の中で沖縄を「皇土防衛の前縁」とし、現地の軍に「出血持久戦」を求めた。米軍の本土上陸を一日でも先延ばしするため、沖縄を「捨て石」としたのだ。沖縄の住民は「防衛」の対象ではなく、本土を守るために犠牲に供するものと位置付けたのである。
 これは沖縄戦全体を覆う特徴だ。1945年4月、大本営は「占領セラルハ必至」(機密戦争日誌)と知りつつ、沖縄戦に突入した。5月下旬、日本軍は主力の7割を失い、首里の司令部も維持できなくなったが、沖縄本島南部への撤退を決めた。南部に住民13万人余がひしめくのを承知の上で、である。
 占領されると知りながら敵を上陸させ、なるべく長くとどめようとする。住民が多数逃げている場所に軍が行き、紛れ込む。こんな計画のどこに住民を守る視点があろう。軍部には住民保護の意識が決定的に欠落していた。
 以降、日本軍による食料強奪や住民の壕からの追い出し、壕内で泣く子の殺害が起きた。「ありったけの地獄」はこうして現れた。

戦前想起させる動き

 沖縄戦の前年、疎開船対馬丸が米軍に撃沈された。だがその情報は軍機保護法により秘匿され、知らずに別の疎開船に乗った住民も次々に犠牲となった。特定秘密保護法がこうした事態の再来を招かないか、危惧する。
 今、安全保障法制は、日本と遠く離れた地域での出来事も「国の存立が脅かされる事態」と規定する。戦前の「満蒙は生命線」の言葉を想起する。国民の恐怖心をあおって他国での戦争を正当化する点で、うり二つではないか。
 沖縄戦体験者の4割は心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症、または発症の可能性があるという。阪神大震災体験者の倍だ。専門家は「沖縄戦と今が地続きだからだ。米軍の存在が日常の沖縄では米軍による事件事故のたびに心の傷口が開く」と分析する。
 その傷口に塩を塗り込むように、政府は新たな基地の建設を辺野古で強行している。沖縄の民意がどうであろうと沖縄を基地として差し出す、という構図だ。犠牲を強いる点で、沖縄戦の構図と何が異なるだろう。
 私たちは犠牲強要の再来を断じて許さない。過去に学び、戦争につながる一切を排除せねばならない。疎開船撃沈を報じず、沖縄戦でも戦意高揚を図った新聞の責任も、あらためて肝に銘じたい。


沖縄タイムス社説-[慰霊の日]戦争への危機感が募る-2015年6月23日


 県立第三高等女学校の「なごらん学徒隊」として沖縄戦に動員され、負傷兵の看護にあたった上原米子さん(88)は、戦場での体験を紙芝居に仕立て、子どもたちに伝えている。

 麻酔なしで手足を切断した野戦病院での場面や、攻撃を受けて腹部から血が噴き出しもだえ苦しむ人々の最期などを絵と生の言葉で語る。

 体験に基づく描写の中に1枚だけ「どうしても」と級友に頼まれて描いたものがある。血を流し倒れる夫婦の横で、爆風に飛ばされた男の子が木の枝にぶら下がっている絵だ。
 男の子の着ている服が枝に引っ掛かっているのではない。木の枝が直接、体を刺し貫いている。

 「お願いです。殺してください」

 どうすることもできないまま、その場を離れた級友は罪悪感に悩まされ、必死に懇願する男の子の声が生涯、耳から離れなかった。昨夏、亡くなる前に「代わりに話して」と上原さんにお願いしたのだという。

 沖縄戦の体験者が一人二人と減っていくごとに、それぞれの掛け替えのない経験も歴史のかなたに消える。せめて絵を通して男の子の無念を後世に伝えてほしいという級友の思いが、上原さんにバトンタッチされたのである。

 戦後70年。県人口に占める70歳以上の割合は15%を切った。戦争体験を明瞭に語ることができる80歳以上となると5%ほどだ。

 「戦争体験が風化していけば、平和は遠ざかっていく」。沖縄の語り部は危機感を募らせる。
    ■    ■
 沖縄戦体験者を対象に朝日新聞社が実施したアンケートで、65%もの人が「沖縄が再び戦場になる可能性がある」と答えている。本紙などの県民意識調査では、安倍内閣への支持は22%で、全国に比べ際立って低かった。

 この二つの数字が示すものは時代への強い危機感である。

 集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案が国会で審議され、名護市辺野古では米軍の新基地建設が進んでいる。沖縄が再び「捨て石」にされるのではとの不安や懸念は深まるばかりだ。

 北谷町に住む安和美智子さん(90)は、昨夏、辺野古で開かれた新基地建設に反対する集会にタクシーを飛ばし駆け付けた。前日まで参加を迷っていたが、当日の朝になって居ても立ってもいられず、顔見知りの運転手に3万円を渡しチャーターした。

 「なぜこんな小さな島にたくさんの基地を置くのか。基地は沖縄を守らない」
    ■    ■
 きょう沖縄は「慰霊の日」を迎えた。この機会に安倍晋三首相とキャロライン・ケネディ駐日米大使は、沖縄の歴史と現実を直視してほしい。

 戦争が終わって70年がたつというのに、今なお戦争と基地を引きずり続けている地域が他にあるだろうか。沖縄では戦争は終わっていないのだ。

 沖縄の犠牲や負担を前提にした安全保障政策を私たちは受け入れない。沖縄は平和の発信地にこそふさわしい。


北海道新聞社説- 沖縄戦から70年 負担を強いた歴史に目を-2015年6月24日


 沖縄は戦後70年の「慰霊の日」を迎えた。太平洋戦争末期の沖縄戦で激戦地となった糸満市できのう、全戦没者追悼式が行われた。

 日米合わせて20万人を超す犠牲者のうち約10万人は一般住民だった。多大な犠牲を経て現在の日本があることを忘れてはなるまい。

 戦後、沖縄はさらなる苦難を経験した。長年、米軍施政下に置かれ、日本に復帰した後も過大な米軍基地負担を強いられた。

 いま、沖縄では基地問題をめぐって政府への不満がこれまでにないほどに強まっている。「もう我慢できない」。それが県民の正直な気持ちだろう。

 戦争を知る年代層が減り、沖縄の犠牲に報いようとする国民感情が薄れていないか。世代を超え戦争の惨禍を伝えることが大事だ。

 政府は沖縄の70年の歴史を直視し、これ以上の負担を強いる政策を進めてはならない。

■また戦場になる不安

 追悼式会場に隣接した「平和の礎(いしじ)」で、沖縄市に住む宮里初子さん(72)は親類とともに、亡き父の刻銘に花をささげた。

 父の顔も知らないことを「悔しい」と語った。「二度と戦争はしてはいけない。たとえば、もし私が死んで戦争がなくなるなら、喜んで死にます」と訴えた。

 戦後70年を経ても、沖縄の人々の心には戦争の傷痕が深く残っている。それは沖縄の70年が日本の他の地域とは異なった歴史をたどったからだろう。

 激烈な沖縄戦は本土防衛のためだった。戦後サンフランシスコ条約で日本が国際社会に復帰しても、沖縄は米軍施政下に置かれた。沖縄は2度「捨て石」になった。

 日本に復帰した後も沖縄の米軍基地返還は進まず、現在も日本の米軍施設の74%が集中している。

 県民が基地に反対するのは、こうした現状への不満だけではない。基地が集中すれば、相手の標的になる可能性が高まる。日米両政府は中国や北朝鮮を意識して安全保障体制の強化を図っている。

 「沖縄がまた捨て石にされ、戦場になるのではないか」。そんな不安が募っているのだ。

■新基地への強い反発

 政府の現在の沖縄政策は、こうした沖縄の歴史をないがしろにしているようにしか見えない。

 沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事は追悼式で、「沖縄の米軍基地問題はわが国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべきだ」と訴えた。

 政府は米軍普天間飛行場を名護市辺野古に移設する計画を「唯一の解決策」とする。菅義偉官房長官は1999年に当時の知事が辺野古への代替施設受け入れに同意したことから正当性を主張する。

 だが、当時と今とで計画の内容は大きく異なる。

 辺野古沖に滑走路を建設する当初計画は沖縄側の了解を得ないまま集落に近い場所に変更され、V字形の2本の滑走路となった。軍民共用とすることや15年間の暫定施設とする前提も崩れた。

 いま翁長知事が「辺野古に新しい基地はつくらせない」と訴えるのは、政府の一方的な計画変更への憤りが背景にあるのだろう。

 政府は辺野古移設案が沖縄の負担軽減につながると主張する。これは沖縄から見れば「上から目線」の対応にしか見えない。

 たとえ普天間基地の返還が実現しても、辺野古に新たな機能を持った施設ができれば引き続き沖縄の負担は続くからだ。

 本当に負担軽減を実現するなら、県外、国外に移設する以外にないことを政府は認識すべきだ。

■不戦の誓いを新たに

 安倍晋三首相は追悼式で「戦争を憎み、ひたすらに平和の道を歩んだ私たちの道のりに誇りを持ち、世界平和の確立に向け不断の努力を行う」とあいさつした。

 会場からは「うそ言うな」というヤジも飛んだ。首相は辺野古問題に直接触れなかったが、政府と沖縄の溝の深さが表れた。

 集団的自衛権行使を容認する安倍政権の安全保障関連法案には沖縄でも反発が強い。

 沖縄県民にとって日本への復帰は二度と戦争をしない「平和国家」の一員となることだった。憲法9条の解釈を変えて平和主義をゆがめ、やがては9条改憲も視野に入れる首相への警戒心は強い。

 従来の歴史認識に疑問を呈する首相の姿勢も県民の感情を逆なでする。沖縄の歴史まで都合良く見直される不安が消えないからだ。

 最近の「沖縄独立論」の背景には1879年の「琉球処分」以来、沖縄は日米の植民地であり続けたという歴史観がある。国の圧力から逃れ、独自の道を歩もうとする動きを政府は見過ごせまい。

 ならば、国の政策のために地域を犠牲にする政治からは脱却すべきだ。沖縄の目線に立ち、不戦の誓いを新たにすることがその第一歩だろう。


福井新聞論説-沖縄「慰霊の日」 平和から程遠い犠牲の島-2015年6月24日

 沖縄「慰霊の日」。太平洋戦争末期、沖縄は日米決戦の場となった。米軍による艦砲射撃や爆撃は「鉄の暴風」といわれ、その惨状を米陸軍省は「ありったけの地獄を一つにまとめた」と記した。20万人を超す死者の半数は地元民である。最後の激戦地、糸満市摩文仁(まぶに)に建つ「平和の礎」には24万1336人の戦没者名が刻まれている。「福井之塔」もその丘にある。沖縄は戦争を引きずる軍事基地を求めてはいない。

 慰霊の日は組織的戦闘が終結した日である。平和祈念公園で行われた追悼式に安倍晋三首相も出席。平和へ「不断の努力」を誓い、「沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」と述べた。沖縄にとって負担軽減とは基地の撤去であり、基地の移設という押し付けは島の恒久平和からは程遠い。

 政府は、宜野湾市の住宅密集地にある米軍普天間飛行場の名護市辺野古沿岸部への移設計画を進める。これが「唯一の解決策」とする政府に対し、翁長雄志知事は平和宣言で「危険性除去のために辺野古に移転する。嫌なら沖縄が代替案を出せとの考え方は、到底県民には許容できるものではない」とあらためて拒否の姿勢を鮮明にした。

 さらに「米軍基地問題はわが国の安全保障の問題。国民全体で負担すべき重要な課題」とも強調した。

 国土の0・6%しかない島に在日米軍専用施設の約74%が集中。翁長知事は4月の安倍首相との会談で過去の歴史を振り返り、移設反対を訴えた。「沖縄県が自ら基地を提供したことはない。土地が強制接収された」「県民に苦しみを与え『普天間は危険だから、危険性除去のために沖縄が負担しろ』ということ自体が日本の政治の堕落だ」

 翁長知事は5、6月、米国を訪れ、政府当局者や米上下両院議員らに直接「辺野古反対の地元民意」を伝えた。東京ではケネディ駐日米大使とも会談した。

 米政府側の冷淡ぶりが目立ち、強固な姿勢を突き崩せなかった。知事の米訪問に対し菅義偉官房長官は会見で「知事も時間をかけて米国まで行き、辺野古移設は唯一の解決策だと認識して帰ってくるのではないか」と語った。皮肉というより、明らかな沖縄軽視。心ない政府首脳の言葉にがく然とする。

 政府は夏からの埋め立て工事に着手する段取りだ。これに対し、前知事の辺野古沿岸部埋め立て承認を検証する有識者委員会は、埋め立て承認に法的瑕疵(かし)がなかったか7月中に結果を報告することになる。知事が承認を取り消すかどうかの判断材料である。

 日米同盟を強化し、安保政策の大転換に突き進む安倍政権。今後も強権力で沖縄の抵抗を排除し、近隣国の侵攻を防ぐ「抑止力」として本土の盾になることを強要するのだろう。戦後70年を経てなお沖縄は心の傷が癒えないままだ。


by asyagi-df-2014 | 2015-06-26 06:20 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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