沖縄から-「慰霊の日」を感じ取るために(2)

 2015年6月23日、「慰霊の日」を、沖縄タイムスは、「戦後70年を迎えた『慰霊の日』の23日、沖縄県内は20万人超の戦没者を追悼する鎮魂の祈りに包まれた。糸満市摩文仁の平和祈念公園内の『平和の礎(いしじ)』や、糸満市米須の『魂魄(こんぱく)の塔』には、早朝から多くの戦争体験者や遺族が訪れた。激しい戦場の記憶や亡き家族の思い出を呼び覚まして目を潤ます高齢者ら。子や孫らは花束を供え、手を合わせた。』、また、「沖縄戦では住民、日米軍人ら20万人超が亡くなった。『平和の礎』は今年新たに87人(県内33人、県外54人)が加わり、刻銘総数は24万1336人となった。」と、報じた。
 さらに、「不戦を誓った戦後70年の日本の歩みを覆すように国会では安全保障関連法案が審議され、戦争につながると危機感を抱く県民は少なくない。平和国家が岐路に立たされる政治状況の中、住民を巻き込んだ地上戦である沖縄戦の実相を風化させずに継承したいとする体験者の思いは切実だ。
 一方で、今なお県内には米軍専用施設の73・8%が集中し、過重な基地負担は県民生活や振興開発に影響を及ぼしている。
 米軍普天間飛行場の移設問題では、知事選など昨年の選挙で相次いで示された民意を無視する形で、政府は名護市辺野古移設を強行する姿勢を崩していない。翁長雄志知事は就任後初の平和宣言で、移設作業の中止を決断するよう政府に求めた。」と、伝えた。

 翁長雄志沖縄県知事は、その平和宣言の中で、「政府においては、固定観念に縛られず、普天間飛行場を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。」と、辺野古新基地建設の見直しを求めた。
 また、「戦後70年を迎え、アジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した先人たちの『万国津梁』の精神を胸に刻み、これからも私たちは、アジア・太平洋地域の発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。
 未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを創りあげ、時を超えて、いつまでも子どもたちの笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。
 慰霊の日に当たり、戦没者のみ霊に心から哀悼の誠をささげるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。」と、宣言した。

 さらに、「追悼式では、翁長雄志知事が就任後初の平和宣言をしたほか、県議会の喜納昌春議長は式辞で『二度と戦争を起こさないために悲惨な沖縄戦の実相を子々孫々に語り継ぐ』と不戦を宣言。県民に寄り添い県民の自己決定権を尊重する決意を語った。
 県遺族連合会の照屋苗子会長は『忌まわしい地獄のような戦争体験が昨日のように脳裏に浮かび胸が張り裂ける』と遺族や体験者の気持ちを代弁し、み霊に哀悼の意をささげた。米軍普天間飛行場問題にも言及し『早急なる県外移設を熱望すると同時に戦争につながる基地建設には遺族として断固反対する』と語った。
 与勝高校3年の知念捷(まさる)君が『平和の詩』に選ばれた『みるく世がやゆら」を朗読した。
 戦争体験者の高齢化が進む中、県は戦後70年となることしの追悼式を、沖縄戦の歴史的教訓を正しく伝え、次世代に平和の尊さを継承する場と位置付けた。」と、伝えた。

 2015年6月23日の「慰霊の日」は、翁長雄志沖縄県知事の平和宣言も含めて、この「慰霊の日」を、「戦後70年となることしの追悼式を、沖縄戦の歴史的教訓を正しく伝え、次世代に平和の尊さを継承する場と位置づけた。」ことが、際立っている。
 
 後は、日本人として、このことにどのように答えていくかである。

 以下、沖縄タイムスの引用。






沖縄タイムス-沖縄慰霊の日 翁長雄志知事が平和宣言 辺野古中止求める-2015年6月23日

 戦後70年を迎えた「慰霊の日」の23日、沖縄県内は20万人超の戦没者を追悼する鎮魂の祈りに包まれた。糸満市摩文仁の平和祈念公園内の「平和の礎(いしじ)」や、糸満市米須の「魂魄(こんぱく)の塔」には、早朝から多くの戦争体験者や遺族が訪れた。激しい戦場の記憶や亡き家族の思い出を呼び覚まして目を潤ます高齢者ら。子や孫らは花束を供え、手を合わせた。

 平和祈念公園では午前11時50分から沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が執り行われた。安倍晋三首相や衆参両院議長、外務・防衛・厚労・沖縄担当の4閣僚が参列。キャロライン・ケネディ駐日米大使も昨年に続いて出席した。正午の時報に合わせて戦没者に黙とうをささげた。

 不戦を誓った戦後70年の日本の歩みを覆すように国会では安全保障関連法案が審議され、戦争につながると危機感を抱く県民は少なくない。平和国家が岐路に立たされる政治状況の中、住民を巻き込んだ地上戦である沖縄戦の実相を風化させずに継承したいとする体験者の思いは切実だ。

 一方で、今なお県内には米軍専用施設の73・8%が集中し、過重な基地負担は県民生活や振興開発に影響を及ぼしている。

 米軍普天間飛行場の移設問題では、知事選など昨年の選挙で相次いで示された民意を無視する形で、政府は名護市辺野古移設を強行する姿勢を崩していない。翁長雄志知事は就任後初の平和宣言で、移設作業の中止を決断するよう政府に求めた。

 沖縄戦では住民、日米軍人ら20万人超が亡くなった。「平和の礎」は今年新たに87人(県内33人、県外54人)が加わり、刻銘総数は24万1336人となった。


沖縄慰霊の日 翁長雄志知事の平和宣言(全文)2015年6月23日


 70年目の6月23日を迎えました。

 私たちの郷土沖縄では、かつて、史上まれに見る熾(し)烈(れつ)な地上戦が行われました。20万人余りの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません。

 それは、私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を切望しているからです。

 戦後、私たちは、この思いを忘れることなく、復興と発展の道を力強く歩んでまいりました。

 しかしながら、国土面積の0・6%にすぎない本県に、日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73・8%が集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発にさまざまな影響を与え続けています。米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合がわずか0・7%しか縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠いものであります。

 沖縄の米軍基地問題は、わが国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。

 特に、普天間飛行場の辺野古移設については、昨年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは困難であります。

 そもそも、私たち県民の思いとは全く別に、強制接収された世界一危険といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、「その危険性除去のため辺野古に移設する」「嫌なら沖縄が代替案を出しなさい」との考えは、到底県民には許容できるものではありません。

 国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎(いしずえ)を築くことはできないのです。

 政府においては、固定観念に縛られず、普天間飛行場を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。

 一方、私たちを取り巻く世界情勢は、地域紛争やテロ、差別や貧困がもととなり、多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳が蹂躙(じゅうりん)されるなど悲劇が今なお繰り返されています。

 このような現実にしっかりと向き合い、平和を脅かすさまざまな問題を解決するには、一人一人が積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要であります。

 戦後70年を迎え、アジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した先人たちの「万国津梁」の精神を胸に刻み、これからも私たちは、アジア・太平洋地域の発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。

 未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを創りあげ、時を超えて、いつまでも子どもたちの笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。

 慰霊の日に当たり、戦没者のみ霊に心から哀悼の誠をささげるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。

 2015年6月23日 
 沖縄県知事 翁長雄志


沖縄タイムス-戦後70年 平和刻む 慰霊の日 次代へ不戦誓う-2015年6月24日


 戦後70年の「慰霊の日」の23日、沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が糸満市摩文仁の平和祈念公園で執り行われた。県内外から約5400人が参列。平和の礎に刻まれた24万人を超える犠牲者を追悼し、不戦と恒久平和の誓いを新たにした。また、平和祈念公園内の「平和の礎」や糸満市米須の魂魄(こんぱく)の塔には早朝から多くの家族連れが訪れ参拝した。各地で慰霊祭が行われ、県内は鎮魂の祈りに包まれた。


 追悼式では、翁長雄志知事が就任後初の平和宣言をしたほか、県議会の喜納昌春議長は式辞で「二度と戦争を起こさないために悲惨な沖縄戦の実相を子々孫々に語り継ぐ」と不戦を宣言。県民に寄り添い県民の自己決定権を尊重する決意を語った。

 県遺族連合会の照屋苗子会長は「忌まわしい地獄のような戦争体験が昨日のように脳裏に浮かび胸が張り裂ける」と遺族や体験者の気持ちを代弁し、み霊に哀悼の意をささげた。米軍普天間飛行場問題にも言及し「早急なる県外移設を熱望すると同時に戦争につながる基地建設には遺族として断固反対する」と語った。

 与勝高校3年の知念捷(まさる)君が「平和の詩」に選ばれた「みるく世がやゆら」を朗読した。

 戦争体験者の高齢化が進む中、県は戦後70年となることしの追悼式を、沖縄戦の歴史的教訓を正しく伝え、次世代に平和の尊さを継承する場と位置付けた。

 式典で子どもの合唱を初めて取り入れ、糸満市立西崎小学校と南城市立大里南小学校の3~6年生計40人が「月桃」「大切なもの」など4曲を歌った。県教育委員会が初めて主催した平和行進もあり、高校生ら160人が糸満南小学校から平和祈念公園まで行進した。

 追悼式には、外務、防衛、厚生労働、沖縄担当の4閣僚のほかキャロライン・ケネディ駐日米大使が参列。衆参両院議長は来賓あいさつした。


by asyagi-df-2014 | 2015-06-24 16:27 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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