砂川事件最高裁大法廷判決を考える。

 「週刊金曜日6/19/20151044号」(以下、「金曜日」とする。)と、「戦争をさせない1000人委員会」の砂川事件最高裁大法廷判決Q&Aを参考に、砂川事件最高裁大法廷判決を考える。

 安倍晋三政権は、この間、砂川事件の最高裁大法廷判決(1959年)を理論の支柱として錦の旗のごとくふりかざしてきた。
 もうすでに、どこに真実があるのかは、決着がついているはずなのだが、安倍晋三政権は、立ち止まって熟考をしようとはいない。
 改めてこのことを押さえてみる。
 「金曜日」は、安倍晋三政権の側の考え方のポイントを次のように指摘する。
(1)集団的自衛権行使を容認する47年見解にある「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置」という論理は、砂川判決(昭和34年12月16日)の「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置」という論理と同一の「基本的な論理」である。
(2)自国防衛を目的とする「限定的な集団的自衛権行使」は、これらの「自衛の(ための)措置」は、これらの「自衛の(ための)措置」と適合する。つまり、47年見解だけでなく、砂川判決も「限定的な集団的自衛権行使」を容認している。
(3)最高裁判決が容認しているのだから7.1閣議決定と安保法制は、違憲ではない。

  次に、「金曜日」は、この安倍晋三政権の論理については、①47年見解と砂川判決の「基本的な論理のズレ、②そもそも砂川判決から集団的自衛権行使を読み取ることは論理として不可能、という二点を立証すれば論破できるとしている。
 具体的に、上記の①はについては、政権側が「47年見解の読み替え」により「限定的な集団自衛権行使」を解禁した法理としているのは、砂川判決の「基本的な論理」の一部であり、政権側の勝手な解釈に過ぎないこと。
 ②については、砂川判決は、旧安保条約に基づく刑事特別法の合憲性が争われた事案であり集団的自衛権は争点にすらなっていないこと。
 特に、②については、第一に、判決文の論理的読み方から無理がある、第二に、ハンケチ以前にも歴代政府は一貫して集団的自衛権行使を違憲としてきた、第三に、判決間もない昭和35年4月28日の国会答弁から2015年月1日までも、「集団的自衛権行使は違憲」としてきた、と指摘する。

 最終的に、「金曜日」は、「安倍首相と高村副総裁は、『高度の政治性を有するものについてては、一件極めて明白に違憲無効でない限り、内閣及び国会の判断に従う』という砂川判決の統治行為論の法理を引用し、解釈変更は最高裁から委ねられた裁量の範囲内という主張を行っています。しかし、47年見解の読み替えの暴挙が『一見極めて明白に違憲』であることは明々白々であり、最高裁が解釈改憲を合憲とすることは、司法権が法の支配と日本語を崩壊させる暴挙を侵すことになる」と、主張する。

 「戦争をさせない1000人委員会」の砂川事件最高裁大法廷判決Q&Aでも、次のように指摘している。

 「砂川大法廷判決は、集団的自衛権行使を容認しているのでしょうか?」という質問に対しては、「とんでもありません。砂川大法廷判決で問題とされたのは、『在日米軍』が憲法第9条2項によって保持を禁じられた『戦力』に該当するかどうかということで、集団的自衛権など全く問題にされていませんでした。」。

 砂川判決そのものについては、「①まず、わが国の防衛は『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する』ことによって行うというものです。これは具体的には国際連合のことです。
砂川事件一審の東京地裁伊達判決は、国際連合の軍隊は憲法の禁じる『戦力』に該当しないが、米軍は該当するとして、日米安保条約は憲法違反としました。ところが最高裁大法廷判決は、国連軍だけと狭く考えるのでなく、米軍も認めていいのではないかとし、
①『憲法9条の趣旨に則して同条2項の法意を考えて見るに、同条項において戦力の不保持をも規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解する』として、米軍は日本政府の指揮下にないから、そのような虞(おそれ)はないとして在日米軍は憲法が保持を禁じる『戦力』には該当しないと結論付けたのです。」。

 砂川判決は、「日本の自衛隊が合憲か違憲かについての判断」についても、「判決は、日本が個別的自衛権を有するのは当然としていますが、そのために軍隊を持つことができるかどうかについては『同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持を禁じたものであるか否かは別として』と述べ、判断を回避しています。このように砂川大法廷判決は、自衛隊の合憲・違憲すら判断していないのですから、集団的自衛権行使容認か否かなど全く論じていないのです。当時の15人の裁判官たちには、合憲か違憲かすら判断されていない自衛隊が、日本の防衛でなく、海外に出て行って米軍と一体となって活動することが起こりうるなどとは全く想定できないことであったでしょう。」。

 このように、この間の論理には、決着がついている。

 以下、「戦争をさせない1000人委員会」の砂川事件最高裁大法廷判決Q&Aの引用。






砂川事件最高裁大法廷判決Q&A-2015年6月13日

政府はこの間、戦争法案をめぐって、砂川事件の最高裁大法廷判決(1959年)が「集団的自衛権」を容認しているなどという主張をいまさらまた持ち出しています。この動きに関して、取り沙汰されている判決の内容についての解説を「戦争をさせない1000人委員会」事務局長で弁護士である内田雅敏さんから寄稿していただきました。

追記:注釈として、※部分を加筆しました。(6月16日)

砂川事件最高裁大法廷判決Q&A
内田雅敏(弁護士、戦争をさせない1000人委員会事務局長)

Q1:何故、今、集団的自衛権行使容認の根拠として半世紀以上も前の砂川大法廷判決(1959年 12月)が持ち出されるのでしょうか?
A1:圧倒的多数の憲法学者が、集団的自衛権の行使は憲法第9条に反するとしているため、それに対抗する権威として最高裁砂川大法廷判決を持ち出してきたのです。

Q2:砂川大法廷判決は、集団的自衛権行使を容認しているのでしょうか?
A2:とんでもありません。砂川大法廷判決で問題とされたのは、「在日米軍」が憲法第9条2項によって保持を禁じられた「戦力」に該当するかどうかということで、集団的自衛権など全く問題にされていませんでした。

※砂川事件とは立川の米軍基地拡張に反対する中で、反対者らが一時的に米軍基地内に「進入」したことが、日米安保条約に基づく刑事特別法に違反するということで起訴されたものです。そこで問題となったのは、日米安保条約は憲法違反かどうかでした。具体的には、在日米軍は憲法第9条が保持を禁じた「戦力」に該当するかどうかということでした。
なお、日米安保条約は、サンフランシスコ講和条約の発効によって占領軍としての米軍が撤退しなくてはならないところ「在日米軍」と名前を変えて、そのまま居座るための占領状態継続条約なのです。

Q3:個別的自衛権はあるが集団的自衛権の行使は容認されないとした1972年の政府見解も、1959年の砂川大法廷判決の後に出されたものですね。
A3:そうです。もし砂川大法廷判決が集団的権行使容認をしていれば、その後に出された1972年政府見解で、集団的自衛権行使は容認されないなどとは言わないはずです。

Q4:砂川大法廷判決では、日本の防衛について何も触れてないのでしょうか?
A4:もちろん、触れています。判決文は以下のように述べています。
「われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼することによって補い、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。

そこで、右のような憲法9条の趣旨に則して同条2項の法意を考えて見るに、同条項において戦力の不保持をも規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持を禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」

Q5:少し噛み砕いて説明していただけませんか?
A5:はい、そうします。

①まず、わが国の防衛は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する」ことによって行うというものです。これは具体的には国際連合のことです。
砂川事件一審の東京地裁伊達判決は、国際連合の軍隊は憲法の禁じる「戦力」に該当しないが、米軍は該当するとして、日米安保条約は憲法違反としました。ところが最高裁大法廷判決は、国連軍だけと狭く考えるのでなく、米軍も認めていいのではないかとし、
②「憲法9条の趣旨に則して同条2項の法意を考えて見るに、同条項において戦力の不保持をも規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解する」として、米軍は日本政府の指揮下にないから、そのような虞(おそれ)はないとして在日米軍は憲法が保持を禁じる「戦力」には該当しないと結論付けたのです。

Q6:判決は日本の自衛隊が合憲か違憲かについての判断もしていないのですか?
A6:していません。判決は、日本が個別的自衛権を有するのは当然としていますが、そのために軍隊を持つことができるかどうかについては「同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持を禁じたものであるか否かは別として」と述べ、判断を回避しています。このように砂川大法廷判決は、自衛隊の合憲・違憲すら判断していないのですから、集団的自衛権行使容認か否かなど全く論じていないのです。当時の15人の裁判官たちには、合憲か違憲かすら判断されていない自衛隊が、日本の防衛でなく、海外に出て行って米軍と一体となって活動することが起こりうるなどとは全く想定できないことであったでしょう。

Q7:砂川大法廷判決は集団的自衛権について、全く触れていないのですか?
A7:法廷意見としてはそうです。しかし最高裁の判決では、法廷意見の他に、各裁判官が自分の意見を述べることが許されています。分かりやすいのが反対意見ですが、補足意見というのもあります。田中耕太郎長官は補足意見で以下のように述べています。
「一国の自衛は国際社会における道義的義務でもある。今や諸国民の間の相互連帯の関係は、一国民の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及ぼす程度に拡大深化されている。従って一国の自衛も個別的に即ちその国のみの立場から考察すべきでない。一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国を守ることになり、他国の防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言すれば、今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち『他衛』、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従って自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである」

Q8:「自衛即他衛」「他衛即自衛」とは、集団的自衛権に関することではありませんか?
A8:そうです。昨2014年7月1日の集団的自衛権行使容認の閣議決定は「脅威が世界のどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっている。(中略)もはや、どの国も一国のみで平和を守ることはできず、国際社会もまた、我が国がその国力にふさわしい形で一層積極的な役割を果たすことを期待している」と述べています。これは砂川大法廷判決の田中耕太郎補足意見という亡霊の蘇りと見ることもできます。

Q9:砂川大法廷判決は集団的自衛権行使容認を声高に語る高村自民党副総裁らは何故、この田中耕太郎補足意見について触れないのでしょうか?
A9:本当は触れたいのですが、それが出来ないのです。それはこの補足意見が法廷意見と何ら脈絡なく出されたものであるからです。その意味では全く無用な補足意見なのです。さらにあります。後に、米国の公文書の開示によって、当時、田中耕太郎長官が、この件について最高裁で審理が始まる前に、当時の駐日米大使マッカーサー(マッカーサー元帥の甥)に面会し、早期に、且つ全員一致の判決をするという約束していたことが明らかになりました。最高裁長官が司法権の独立を侵す行動をしていたのです。そのことが蒸し返されるのが嫌なのでしょう。なお、砂川事件裁判では、被告国は、一審の東京地裁判決について、東京高裁を経ずに一挙に最高裁で審理するという跳躍上告という異例な手続きを取りました。この跳躍上告も米大使館から示唆を受けた日本の外務省が、法務省・検察庁の反対を押し切ってやったものであることが、前記米公文書の開示によって明らかになりました。

Q10:安倍首相は、4月末の訪米、上院、下院合同会議での演説で、夏までにこの「安保法制」を成立させると約束しましたが、これって、田中耕太郎長官のマッカーサー大使に対する約束と同じではありませんか?
A10:そうです。田中耕太郎は司法権の独立の侵害、安倍は、国会無視、すなわち立法権の侵害なのです。今年は戦後70年ですが、日本の戦後はまさに対米従属の70年なのです。対米従属とアジアからの孤立、アジアから孤立するから、ますます対米従属、この二つは相関関係にあります。

Q11:砂川大法廷判決にはほかにも問題がありますか?
A11:あります。悪名高き、統治行為論です。判決は日米安保条約のような高度の政治性を持つものについては、一見極めて違憲、明白でない限り司法審査の対象外にあるとして判断回避をし、憲法の番人としての役割を放棄してしまったのです。その結果が今日の事態をもたらしたのです。最高裁の15人の裁判官たちが生きていたらどう思うでしょうか。死人に口なしです。

Q12:砂川大法廷判決には色々問題があることが分かりました。よい面は全くないのですか?
A12:そんなことはありません。判決理由の冒頭で以下のように述べています。

「そもそも憲法第9条は、わが国が、敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が、過去におけるわが国の誤って犯すに至った軍国主義的行動を反省し、深く恒久の平和を願って制定したものであって…」

これはアジアで2000万人以上、日本で310万人の死者をもたらした先に戦争の「敗北を抱きしめて」、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」(憲法前文)、戦後の再出発をしたことを述べたものであります。この原点を忘れてはいけません。

Q13:現在の事態に関連して、最後に何か付け加えることがありますか?
A13:砂川事件に関するものではありませんが、或る最高裁大法廷判決に際して、述べられた補足意見をご紹介します。

「人々は、大正末期、最も拡大された自由を享受する日々を過ごしていたが、その情勢は、わずか数年にして国家の意図するままに一変し、信教の自由はもちろん、思想の自由、言論、出版の自由もことごとく制限、禁圧されて、有名無実となったのみか、生命身体の自由をも奪われたのである。『今日の滴る細流がたち まち荒れ狂う激流となる』との警句を身をもって体験したのは、最近のことである。情勢の急変には10年を要しなかった」 (1997年4月2日、愛媛県靖国神社玉串訴訟、尾崎行信裁判官補足意見)

※尾崎行信判事は「憲政の神様」と言われた尾崎行雄のお孫さんです。


by asyagi-df-2014 | 2015-06-23 06:00 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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