沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第25回

 沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
 そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。

三上知恵の沖縄撮影日記。
 
  今回の報告は、「政府と、政府と歩調を合わせ『強きを助け弱きをくじく』一部メディアの方だろう。私たちの知事が県民の負託を受けて踏ん張ってきた行動を“思い余って場違いな所に乗り込んだ南の島の酋長”風に揶揄し、事柄を矮小化しようという思惑のほうが、数段認識がずれているのではないか。」という指摘。

 次のことを私たちは忘れてはいけない。

「憲法と同時にこの地方自治法を獲得した日本国民には、地方自治法の崇高な理念がピンと来ていないかもしれない。沖縄ではアメリカ軍統治下の人権もない中で憲法の適用もされず、自分たちの小さな政府を持つことは許されなかった。県知事にあたる主席を県民が選ぶこともできなかった。沖縄にはそんな苦難の日々があるからこそ、自分たちの生活を守ってくれるリーダーを自分たちで選べること、大きな何かに嫌なものを押し付けられることを地域全体で我慢する必要がないこと、それを保障する地方自治法の理念は理想であり、渇望し、そして1972年にようやく沖縄県民が手にした権利であった。
 であるから、市町村長、都道府県知事は、地域の住民を不利益から守り、大きな政府の暴走を止める先頭に立つのが当たり前なのである。まさに今、翁長知事がやっていることだ。大きな政府がいま、戦争に向かって大きくコマを進めて、また国益を掲げて戦うために、沖縄県には犠牲と忍耐を強要しようとしている。それも、安保上の米国との約束だと逃げて聞く耳も持たぬのであれば、約束した相手のところに行って話をするしかないではないか。繰り返すが、都道府県は政府の下部組織ではない。政府を飛び越えたとか、僭越だとかいう批判はお門違いだ。地方自治法の理念にのっとって堂々と県民を守るために交渉に出ていく知事を拍手で送り出す沖縄県民のほうが数倍健全なのである。」

 以下、三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記の引用。







第25回 知事が訪米直訴して何が悪い~地方自治の崇高な理念~


 「翁長知事訪米は大失敗」「外交成果なし」「県内向けパフォーマンスに過ぎない」
 東京滞在中、本土の新聞雑誌の冷ややかな見出しを目にした。菅官房長官は6月4日の会見で「アメリカ国務省は、辺野古移設が唯一の解決策だと説明したと聞いた」「時間をかけて米国に行って、知事はそれを認識して帰って来られるのではないか」と述べた。
 どんなに沖縄が抵抗しても、辺野古しかないと日本のトップが言ってるのに、アメリカまで足を運んで時間を無駄にして、気の毒に辺野古しかないと通告されて帰るんでしょうね。こんな意地の悪い物言いをお上がするのだから、“身分もわきまえぬ一知事の暴走”と政府の尻馬に乗って嘲る記者も出てくるのだろう。この国の中心は、なんと冷え切ったところだろう。梅雨の沖縄より気温はずっと高い東京だが、私はこの寒々しい街から早く帰りたいと思った。

 しかし沖縄で知事訪米の話を聞き、新聞を見れば、誰でも全く違う印象を受けるだろう。県内での受け止め方はおおむね肯定的である。それは負け惜しみでも偏向報道でもなんでもない。私も20年報道してきたが、大田元知事の時代から稲嶺、仲井真元知事の時代も、訪米は途切れずに続いている。沖縄の抱える問題を直接アメリカに訴える手法は、今に始まったことでも思い付きでもない、積み重ねがあるのだ。市長では稲嶺名護市長、伊波元宜野湾市長も、何度も訪米してネットワークを築き、成果につなげている。
 なんせこの島はずっとアメリカに統治されてきたのだ。基地を抱える地域のリーダーは常にアメリカのシステムを勉強し、相手が軍人や軍の機構であれ政治家であれ、臆せずにそこに飛び込んで沖縄の人権を守るために直接交渉を重ねてきた。沖縄以外の46都道府県の自治体が「外交は国を通さないとできない」と思っていたとしても、沖縄は戦後ずっとアメリカ人と直接交渉するしかなかったし、それも生活がかかった引き下がれない問題ばかりだった。復帰してもその構図はさして変わっていない。今だってこんなに動かない日本政府に自分たちの命運を託すよりも、何度でもアメリカ本国に足を運ぶほうが早いという実感があるのは当然ではないだろうか。ハードルは高い。すぐに成果があるものではないことも含めて、県民は訪米直訴に楽観もしてないが、悲観こそしていない。逆風の中よくやった、ご苦労様という気持ちで、今回は特に大勢の県民が「お帰りなさい」と知事を空港に出迎えに行く。それが恒例の沖縄県知事の訪米の姿だ。
 今回の知事訪米にむしろドキドキしていたのは、政府と、政府と歩調を合わせ「強きを助け弱きをくじく」一部メディアの方だろう。私たちの知事が県民の負託を受けて踏ん張ってきた行動を“思い余って場違いな所に乗り込んだ南の島の酋長”風に揶揄し、事柄を矮小化しようという思惑のほうが、数段認識がずれているのではないか。

 今回の訪米は、行く先々で日本政府の手が回っていることを思わせる展開が目立った。「安全保障は地元の支持がないまま進めてもうまくいかない」と翁長知事に語ったハワイ州選出のシャーツ上院議員は、二日後に「辺野古移設が唯一の選択肢」と発言を打ち消す異例の声明を発表した。アメリカ国務省で翁長知事はヤング日本部長と国防総省のアバクロンビー副次官補代行と会談したが、国務省はその直後に間髪入れず、用意してあった声明文を記者に配った。声明では「辺野古の基地建設は移設であって、新基地建設ではない」と強調しつつ、辺野古が唯一の選択肢であるという両政府の立場がわざわざ書かれていた。
 タクシーで立ち去ろうとする記者のところにまで走って行って渡したというから、よほど誰にも「新基地建設」と書かれたくなかったのだろう。以前、容認派知事の訪米では米国防次官補クラスが対応していたが、今回はあえてランクを落として会談が設定されたあたりも、かつてなく警戒している様子が伝わってくる。それだけ、日米両政府は用意周到に「訪米直訴は無意味」とアピールする包囲網を作ったつもりなのだろう。だから菅さんも「時間をかけ、やっぱり駄目だと認識して帰られるでしょう」と余裕で皮肉って見せたのだ。

 しかしこの一連の県知事いじめを、国民は本当に面白がってみているだろうか。逆らえないんだということを思い知らせてやる、と言わんばかりの、なりふり構わぬ沖縄県への態度。これは看過できないと厳しい目を注ぐ人たちの存在を、軽視してはいないか。

 この2年間、映画『標的の村』の上映会を企画してくださる全国各地の団体の方々に招かれ、現地に行って一泊するという機会が頻繁にあった。沖縄からの交通費も捻出して私を呼んでくださるところは、やはり市民団体が元気で、集客力がある地域だ。原発やダムを止めた経験があったり、9条や人権問題に活発に取り組んでいたり、目の前の問題に向き合って動いている人たちだからこそ、沖縄の動きにアンテナを張っていてくれる。夜はその地域の抱える問題と解決に取り組んできた皆さんの話を聞き、大いに刺激される。

 先週お邪魔した茨城県東海村は、国内最古の原発を抱える地域だけに、抵抗の歴史もある。この映画の後援を断る自治体や、公共の施設を会場に提供しないところも出てきている中で、東海村は村も教育委員会も後援についていて、びっくりした。そこでも、脱原発運動の先頭に立つ村上達也元村長と地方自治についてじっくりお話しする機会があった。沖縄の歴史にも精通している村上さんは、東海村JCO臨界事故の際には国や県の対応を待たず、真っ先に住民を避難させ地域の人々の命を救った方だ。地域の住民の生活を守る判断は自治体の長がする。その覚悟と気迫には感銘を受けた。

 国旗強要に反発し、TPP反対デモの先頭に立つなど、たびたび注目される長野県中川村の曽我逸郎村長も『標的の村』上映会を自らセッティングし、トークに立ち、地方自治の可能性について熱く語ってくださった。村民が揃って曽我村長を誇りに思い、私に自慢してくる。村民を思う村長と、村長が大好きな村民。こんなところがあるのかと嬉しくなった。
 お二人をはじめ、市町村長など自治体の長の中には、沖縄の問題をわがことととらえ、安倍政権の今の対応を許し難いと思っている方々の存在が着実に増えていることを、私は実感している。それはもちろん、国によって一つの地域が虐げられる局面をみて見ぬふりをすれば明日は我が身だという恐怖があるだろう。だがその意味合いはもっと深い。
 「地方自治法」は、主権在民を保障する大事な基本原理として、日本国憲法と同時に施行された。その「地方自治法」の本旨をよく理解し、その重要性を肝に銘じてちゃんとした仕事をしてきた人たちにとっては、今回の国の対応が私たちから何を奪っているのか、よくわかっているから、沖縄への対応を問題視しているのだ。

 都道府県、市町村の首長とその議会は住民の代表機関であり、直接公選されている。まさに住民にとっての小さな政府である。彼らは主権者である国民のために、生活権を保障している憲法の理念に基づいて住民のくらし全般を具体的に保証する実行主体であり、決して国の出先機関ではない。
 戦前、知事は国が任命した。戦前のような国の地方への支配、関与を排除するために、戦後住民が直接首長を選べるようになった意味は大きい。全国民に対し責任を負う日本政府と、地域住民に対して責任を負う地方政府の2種類を並列させた地方自治の基本原理は、国民主権をないがしろにして生活権を奪う中央政府の暴走を止めるという、過去の反省に立ってのことである。大きな政府と小さな政府は並立であり、上下ではない。県は国の下部組織でもなければ出先機関でもない、ましてや隷属を強いられるゆえんは全くないのだ。

 憲法と同時にこの地方自治法を獲得した日本国民には、地方自治法の崇高な理念がピンと来ていないかもしれない。沖縄ではアメリカ軍統治下の人権もない中で憲法の適用もされず、自分たちの小さな政府を持つことは許されなかった。県知事にあたる主席を県民が選ぶこともできなかった。沖縄にはそんな苦難の日々があるからこそ、自分たちの生活を守ってくれるリーダーを自分たちで選べること、大きな何かに嫌なものを押し付けられることを地域全体で我慢する必要がないこと、それを保障する地方自治法の理念は理想であり、渇望し、そして1972年にようやく沖縄県民が手にした権利であった。
 であるから、市町村長、都道府県知事は、地域の住民を不利益から守り、大きな政府の暴走を止める先頭に立つのが当たり前なのである。まさに今、翁長知事がやっていることだ。大きな政府がいま、戦争に向かって大きくコマを進めて、また国益を掲げて戦うために、沖縄県には犠牲と忍耐を強要しようとしている。それも、安保上の米国との約束だと逃げて聞く耳も持たぬのであれば、約束した相手のところに行って話をするしかないではないか。繰り返すが、都道府県は政府の下部組織ではない。政府を飛び越えたとか、僭越だとかいう批判はお門違いだ。地方自治法の理念にのっとって堂々と県民を守るために交渉に出ていく知事を拍手で送り出す沖縄県民のほうが数倍健全なのである。

 最近は地域の抱える問題に対して「オール○○」「○○総がかり」というくくりで、「オール沖縄」に倣った動きがあちこちで見られるようになった。自民党の一強で野党の形が見えない中だからこそ、政党や思想に分断されず「オール○○」が作りやすくなったともいえる。自分たちの大事なものが奪われていく、それに気づいたらワンイシューでいいから大衆の力で抵抗する。この形は、沖縄から全国に広がりつつある。

 やがて1年になろうとしている辺野古ゲート前と海の闘いは、相変わらずきつい。先週ボーリング調査が再開され、海上の衝突もゲート前の抵抗も、今回の動画のように毎日が戦場のようだ。それでもこんな現場から立ち上がったオール沖縄という闘い方から、全国にわずかな勇気や希望の種を分けていくことができるとしたら、また地方自治の理念を取り戻すことがこの国を良くする道筋であると再認識していただけたら、ありがたいことである。


by asyagi-df-2014 | 2015-06-13 05:37 | 沖縄から | Comments(0)

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