沖縄からー「艦砲ぬ喰ぇ-残さ-」は父の遺言

 沖縄タイムスの2015年5月24日付けの一面を飾ったのは、特集「沖縄を語る 時代への伝言」で「艦砲ぬ-父の意志」と題した島袋艶子さんのインタビュ-でした。
 実は、「艦砲ぬ喰ぇ-残さ-」が沖縄の歴史そのものを、あまりにもそのままに体現したものであったことを初めて知りました。
「艦砲ぬ喰ぇ-残さ-」の作者である比嘉恒敏さんの物語は、こう語りかけます。

 「父比嘉恒敏さんは戦前、出稼ぎで大阪にいた。両親と、最初の結婚でできた長男を呼ぼうとしたが、米軍に対馬丸もろとも沈められた。その後、大阪大空襲に遭い、目前で妻と次男が防空壕ごと押しつぶされた。」
比嘉恒敏さんは、1971年ようやくつかんだしあわせの中で、この歌を作ることができた。
 しかし。
 「73年10月10日夜、那覇市での公演を終え、読谷に戻る途中の宜野湾市大山で、父恒敏さんの車が飲酒運転の米兵車両と激突した。49歳の母シゲ子さんは即死し、恒敏さんは4日後、家族の名前を呼びながら息を引き取った。56歳だった。」

 島袋艶子さんは、インタビューに、「『艦砲ぬ喰ぇ-残さ-』は父の遺言。歌い続けたい。」と。
 そしてこう続ける。
 ただ『艦砲ぬ』が、大仰に『反戦歌』とくくられることには違和感を抱く。
 「『辺野古の海を守りたい』という気持ちは、沖縄の暮らしに密着したささやかな願いでしょ。『オスプレイを飛ばすな』だって、大それた望みではないさ。」
 ではどういう歌なのか。
 「『この平和、壊すな』と叫びながら、家族の幸せを祈る歌」

 「相手の米兵は酔っ払い運転だった」ことについては、「こんなの無駄死にさ。戦争を生き抜いたのに、またアメリカー(米軍)にやられたんだよ。父の幸せの時間は私たちと一緒に歌い踊った10年間ぐらい。ひどいよ。」と。
 「沖縄は、戦争と隣り合わせの日常がある」ことについては、「艦砲射撃はなくても、沖縄の人はオスプレイや辺野古新基地に戦争の臭いを感じているわけさ。だから〈夜ぬゆながた 眼くふぁゆさ〉〈また戦争が起きるかと思うと夜も眠れない〉という歌詞に、多くの人が共感するのだと思う」と。
 「『艦砲ぬ』が今も説得力を持ち、歌い継がれている理由をどう考えるか」については、「父が歌詞を練ったノートが残っている。当初、『戦争をなくすため、世界の人びとを友にしよう』という意味の詞で終わっていた。でもそれが二重線で消され、書き直された。〈恨でぃん 悔やでいん あきじゃらん 子孫末代 遺言さな〉(恨でも悔やんでもまだ足りない 子孫末代まで遺言しよう)と」と。
 インタビューの最後を島袋艶子さんは、このように結んでいます。

 「父の戦争体験からすれば、最初の詞はきれいごとすぎる。『遺言さな』で結んだ意味は大きい。『お前たちにこの歌を残した。頑張れよ』と言っている気がするんだよね。『食い残し』だからできることがある。頑張らなきゃね」

 安倍晋三政権に、この記事が届いて欲しい。
 この記事を受け取るだけの感性があって欲しい。


by asyagi-df-2014 | 2015-05-26 18:30 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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