2015年の憲法記念日を考える。

 2015年5月3日の憲法記念日を考える。
 今回は、地方紙ではなく、中央紙5社の社説を参考に考える。

 まずは、その主題を並べてみる。
(1)朝日新聞社-安倍政権と憲法―上からの改憲をはね返す
(2)東京新聞社説-戦後70年 憲法を考える 「変えない」という重み
東京新聞社説-戦後70年 憲法を考える 9条を超える「日米同盟」
東京新聞社説-戦後70年 憲法を考える 「不戦兵士」の声は今
(3)読売新聞社説-憲法記念日 まず改正テーマを絞り込もう
(4)産経新聞主張-憲法施行68年 独立と繁栄守る改正論を 世論喚起し具体案作りを急げ
(5)毎日新聞社説-:憲法をどう論じる 国民が主導権を握ろう

 読売新聞と産経新聞の主張は、他の3紙とまさに正反対である。ただ、このことは予想通りでもある。こうした違いは、地方紙も加えると、もっと明確になるはずである。
 いかに、この2紙が突出しているかが分かる。

 5紙のそれぞれの主張をまとめてみる。
(1)朝日新聞
「その日は、夜来の雨に風が加わる寒い日だった。それでも1947年5月3日、皇居前広場には1万人が集い、新憲法の施行を祝った。朝日新聞はこう伝えた。『おのおのの人がきょうの感慨に包まれながら来る中に、わけて嬉(うれ)しげに見えるのはその権利を封建の圧制から解き放たれた女性の輝かしい顔である』」
「安倍政権はすでに集団的自衛権の行使を認める閣議決定をし、自衛隊の活動を地球規模に広げる安保関連法案を用意している。報道や学問の自由などお構いなしに放送局に介入し、国立大学に国旗・国歌に関す『「要請』をしようとしている。」
(2)東京新聞
「しかし、この憲法が今、重大な岐路に立っています。一つは、政府が昨年七月の閣議決定で憲法解釈を変更し、それまで違憲としていた『集団的自衛権の行使』を認めたことです。他国同士の戦争への参加を認めるこの新しい解釈に基づき、米国との間で『日米防衛協力のための指針(ガイドライン)』の再改定に合意、今月中旬には安全保障関連法案を国会に提出します。自衛隊の役割を大幅に拡大し、活動地域も地球規模に広げるものです。『戦争法案』とも呼ばれます。もう一つは、憲法改正に向けた動きが大型連休明けに本格化することです。首相にとって改憲は祖父・岸元首相以来の悲願です。国会も、衆院では与党が改憲の発議に必要な三分の二以上の多数を占めます。来年の参院選で勝利し、二〇一七年の通常国会での改憲発議を目指しています。」
「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を改定し、米国の戦争に積極的に参加することを約束しました。地球規模で連携する日本と米国は、安全保障条約はもちろん、日本国憲法さえも超越した軍事同盟となります。まさに安倍首相が著書『この国を守る決意』の中で言っていた『血の同盟』の誕生です。一方で米軍は日本が武力攻撃を受けても自衛隊の作戦を『支援しおよび補完する』(新ガイドライン)にとどまります。村田氏のいう通り「片手間に日本の防衛も手伝う」のかもしれません。確かなのは、憲法が求め、戦後七十年かけて実現した『戦争をしない国』が変質していくということ。望んで従うのですから、米国が歓迎するのは当然です。憲法九条から逸脱すれば、平和国家としての国際的な信頼は失われていくのではないでしょうか。」
(3)読売新聞
「日本の社会や国際情勢の劇的な変化に伴う、憲法と現実の乖離かいりを解消する必要がある。与野党は、憲法改正論議に本腰を入れねばならない。」
「自民党は、『大規模災害などの緊急事態条項の新設』「『境権など新たな権利の追加』『財政規律条項の新設』の3項目を優先するよう提案している。」
「世界のほとんどの国が憲法に緊急事態条項を備えている。」
(4)産経新聞
「自国の安全保障を他者に依存する『基本法』を抱えたままで、世界の安全と繁栄にどう貢献していくというのか。」
「なぜ憲法改正が必要か。大きな理由の一つは、さきの前文規定とともに、9条が国の守りを損なってきたことだ。それは、憲法が擁護すべき大切な価値さえ国家として失いかねないということだ。大切な価値とは、日本の独立や国柄、領域、国民の生命財産である。同時に、米国はじめ民主主義諸国と共有する自由の価値観、基本的人権、法の支配などだ。
9条は戦後の平和主義を象徴するものだったが、『戦力の不保持』規定などは軍事を正面から議論することを忌避する風潮を助長してきた。『専守防衛』も、国会対策から生じた政治スローガンにすぎないものが、基本方針のように位置付けられた。防衛政策や防衛態勢を抑制し、自衛権を十分に行使できなくしてきた弊害は甚大だ。」
「9条改正で自衛隊を『軍』と正式に位置付けなければ、解決しない問題となっている。」
(5)毎日新聞
「『憲法とは、未完のプロジェクトである』−−。今年初めに亡くなった奥平康弘元東京大教授は、米国のある憲法学者の考え方として、こんな言葉を紹介していた。時代にそぐわない部分があれば、手直しすることもあっていい。だが憲法には、時代を超えて、変えてはならないものがある。自由や平等などの基本的な人権である。これらは『人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果』(97条)として、私たちが享受しているものだ。未完のプロジェクトとは、そうした理念に新しい生命を与えて、社会に根づかせていく、絶え間ない歩みのことにほかならない。」
「ただし、憲法を論ずる際、忘れてはならないことがある。国民を縛るものではなく、国や政治家など権力を縛るもの、という憲法の根本原理だ。11条が基本的人権を『侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる』とうたい、99条で閣僚や国会議員、公務員らに『憲法を尊重し擁護する義務』を課しているのは、まさにそのためである。ところが、自民党の改憲草案は、政治家の擁護義務の前に『全て国民は、この憲法を尊重しなければならない』という項目を盛り込んだ。まず国民に憲法尊重義務を課す、という逆立ちした原理が、自民党の改憲論を支える思想なのだ。さかさまの憲法原理が目指す、改憲の目的とは何か。それは、国や政治家が、自分たちの手に憲法を『取り戻す』ことであろう。そこには、二つの側面がある。一つは、連合国軍総司令部(GHQ)が作った憲法を、日本人自身の手で書き換えること。いわゆる『押しつけ憲法』論である。憲法を、国家のアイデンティティーの確立に利用する、上からの憲法論だ。二つ目は、憲法を、国民の手から政治家の手に『奪い取る』という発想だ。安倍政権が2年前、96条を改正し、国会の改憲発議に必要な数を衆参両院の3分の2以上から過半数に下げて改憲しやすくしようとしたのは、その典型である。改憲の矛先を、本丸の9条から96条に変え、国民に受け入れられないと知るや、今度は環境権や緊急事態条項、財政規律条項などを追加してはどうか、という。変えやすいところを変えて、国民の抵抗感を薄め、次の9条改正をやりやすくする、という『お試し改憲』論は、憲法をもてあそぶ態度に等しい。」


 さて、今必要なことは、「憲法は永遠に『不磨の大典』たり得ませんが、これまで変えなかったことにも意味があります。戦後七十年、私たちの憲法は重大な岐路に立っています。」(東京新聞)という認識に立ち、まずは「戦後70年。いま必要なのは、時代に逆行する動きに、明確に拒否の意思を示すことだ。」(朝日新聞)ということである。

 また、改めて、東京新聞の「不戦兵士の会」の主筆兼編集長であった小島清文氏の次の言葉を噛み締めたい。


「権力者が言う『愛国心』の『国』は往々にして、彼らの地位を保障し、利益を生み出す組織のことである。そんな『愛国心』は、一般庶民が抱く祖国への愛とは字面は同じでも、似て非なるものと言わざるを得ない」
「われわれは、国歌や国旗で『愛国心』を強要されなくても誇ることのできる『自分たちの国』をつくるために、日本国憲法を何度も読み返す努力が求められているように思う。主権を自覚しない傍観者ばかりでは、権力者の手中で国は亡(ほろ)びの道を歩むからだ。」


「戦争というのは知らないうちに、遠くの方からだんだん近づいてくる。気がついた時は、目の前で、自分のことになっている。」

 以下、各新聞社の社説等の引用。






朝日新聞社-安倍政権と憲法―上からの改憲をはね返す-2015年5月3日(日)

 その日は、夜来の雨に風が加わる寒い日だった。

 それでも1947年5月3日、皇居前広場には1万人が集い、新憲法の施行を祝った。

 朝日新聞はこう伝えた。「おのおのの人がきょうの感慨に包まれながら来る中に、わけて嬉(うれ)しげに見えるのはその権利を封建の圧制から解き放たれた女性の輝かしい顔である」

■またも「裏口」から

 それから68年。安倍政権は再来年の通常国会までには憲法改正案を国会で発議し、国民投票に持ち込む構えだ。

 自民、公明の与党は衆院で発議に必要な3分の2の勢力を持つが、参院では届かない。このため自民党が描いているのが「2段階戦略」だ。

 自民党の最大の狙いは9条改正だ。だが、国会にも世論にも根強い反対があり、改正は難しい。そこで、まずは野党の賛同も得て、大災害などに備える緊急事態条項や環境権といった国民の抵抗が少なそうな項目を加える改正を実現させる。9条に取り組むのは、その次だ。

 「憲法改正を国民に1回味わってもらう」という、いわゆる「お試し改憲」論である。

 安倍氏は首相に返り咲くと、過半数の賛成で改憲案を発議できるようにする96条改正を唱えた。ところが、内容より先に改正手続きを緩めるのは「裏口入学」との批判が強まった。

 9条改正を背後に隠した「お試し改憲」もまた、形を変えた裏口入学ではないか。

 このところ国会で、首相はこんな答弁を繰り返している。

 「これは占領軍がつくった憲法であったことは間違いない」「(GHQの)25人の委員が、全くの素人が選ばれて、たったの8日間でつくられたのが事実であります」

 「押しつけ憲法論」である。GHQのやり方は時に強引だったし、首相のいうような場面もあったろう。ただ、それは新憲法制定をめぐる様々な事実のひとつの側面でしかない。

■だれへの「押しつけ」か

 GHQが憲法草案づくりに直々に乗り出したのは、当初の日本側の案が、天皇主権の明治憲法とあまり変わらぬ代物だったからだ。

 GHQ案には西欧の人権思想だけでなく、明治の自由民権運動での様々な民間草案や、その思想を昭和に受け継いだ在野の「憲法研究会」の案など国内における下地もあった。

 古関彰一独協大名誉教授によると、敗戦による主権制限としての戦争放棄という当初の9条案に、帝国議会の議論によって平和を世界に広める積極的な意味合いが加えられていった。

 GHQ案にはなかった「生存権」が盛り込まれたのも、議員の発案からだ。

 憲法が一から十まで米国製というわけではないし、首相も誇る戦後の平和国家としての歩みを支えてきたのは、9条とともに国民に根をはった平和主義であることは間違いない。

 一方で天皇主権の下、権力をふるってきた旧指導層にとっては、国民主権の新憲法は「押しつけ」だったのだろう。

 この感情をいまに引きずるかどうかは、新憲法をはじめ敗戦後の民主化政策を「輝かしい顔」で歓迎した国民の側に立つか、「仏頂面」で受け入れた旧指導層の側に立つかによって分かれるのではないか。

■棄権でなく拒否権を

 自民党が2012年にまとめた改正草案の9条は、集団的自衛権を認め、自衛隊を「国防軍」に改めている。

 また、「生命、自由及び幸福追求」や「表現の自由」などの国民の権利には、「公益及び公の秩序」に反しない限りという留保がつけられている。これでは天皇によって法律の範囲内で恩恵的に認められた明治憲法下の人権保障と変わらない。

 自民党幹部は草案がそのまま実現するとは思っていないというが、同党が理想とする憲法像を映しているのは間違いない。

 安倍政権はすでに集団的自衛権の行使を認める閣議決定をし、自衛隊の活動を地球規模に広げる安保関連法案を用意している。報道や学問の自由などお構いなしに放送局に介入し、国立大学に国旗・国歌に関する「要請」をしようとしている。

 党の草案がめざすところを、改憲を待つまでもなく実行に移そうというのだろうか。

 昨年の9条の解釈変更から明文改憲へと向かう自民党の試みは、権力への縛りを国民への縛りに変えてしまう立憲主義の逆転にほかならない。名実ともに選挙に勝てば何でもできる体制づくりとも言える。

 憲法を一言一句直してはならないというわけではない。だがこんな「上からの改憲運動」は受け入れられない。政治に背を向け選挙に棄権しているばかりでは、この動きはいつの間にか既成事実となってしまう。

 戦後70年。いま必要なのは、時代に逆行する動きに、明確に拒否の意思を示すことだ。


東京新聞社説-戦後70年 憲法を考える 「変えない」という重み-2015年5月1日


 憲法は永遠に「不磨の大典」たり得ませんが、これまで変えなかったことにも意味があります。戦後七十年、私たちの憲法は重大な岐路に立っています。


 ワシントンの米下院議事堂に安倍晋三首相の登場を告げる声が響きました。米議会での首相演説。日本の首相としては吉田茂、岸信介、池田勇人三氏に次いで五十四年ぶり四人目ですが、上下両院議員が一堂に会する合同会議での演説は初めてです。


 「希望の同盟へ」と題された演説は、英語で四十五分間行われました。出席議員や傍聴者が総立ちで拍手を送る場面も十数回あり、おおむね好意的に受け止められたようです。

◆9条に「普遍の価値観」


 首相の演説は、米国と戦火を交え、和解した歴史を振り返り、戦後日本がアジアの繁栄に貢献した意義を強調し、未来への希望を語るものでした。

 その中で、首相はこう語っています。

 「アジアの海について、私が言う三つの原則をここで強調させてください。第一に、国家が何か主張するときは、国際法に基づいてなすこと。第二に、武力や威嚇は自己の主張のため用いないこと。そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること」

 このくだりは、東シナ海や南シナ海で海洋進出の動きを強める中国をけん制したものですが、何かに表現が似てはいませんか。

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」


 そう、憲法九条第一項です。九条に込められた理念は、今でも国際的に通用する「普遍の価値観」にほかなりません。

◆侵略戦争をしない決意

 首相は真珠湾、バターン、コレヒドール、珊瑚海と、日米両軍が激しい戦火を交えた戦場を列挙して「歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです」と振り返り、犠牲者を悼みました。

 そして「戦後の日本は先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました」と表明しました。

 日本人だけで約三百十万人が犠牲になった過酷な歴史です。戦後日本は二度と侵略戦争をしないと反省し、その決意を書き込んだ新憲法は一九四六年十一月に公布、翌年五月に施行されました。

 当時は連合国軍の占領下です。新憲法に日本の非武装化、民主化を目指す米国の意向が色濃く反映されていることは間違いありません。それが「押し付け憲法論」となり、改憲派が改正の必要性を主張する理由にもなっています。


 ただ、それは歴史の一側面にすぎません。五二年の独立回復後、六十年以上たちます。その間、憲法改正の機会は幾度となくあったにもかかわらず、国民はそのような選択をしませんでした。

 今の憲法は、押し付けられたというよりは、国民が長い年月をかけて選びとった、といえるのではないでしょうか。

 国際情勢の変化で自衛隊という実力組織を持つに至りましたが、海外で武力の行使をしない「専守防衛」に徹しました。日本は再び戦火を交えず、軍事上の脅威にもなりませんでした。平和国家の経済的繁栄は、九条の効用です。

 しかし、この憲法が今、重大な岐路に立っています。

 一つは、政府が昨年七月の閣議決定で憲法解釈を変更し、それまで違憲としていた「集団的自衛権の行使」を認めたことです。

 他国同士の戦争への参加を認めるこの新しい解釈に基づき、米国との間で「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」の再改定に合意、今月中旬には安全保障関連法案を国会に提出します。自衛隊の役割を大幅に拡大し、活動地域も地球規模に広げるものです。「戦争法案」とも呼ばれます。

 もう一つは、憲法改正に向けた動きが大型連休明けに本格化することです。首相にとって改憲は祖父・岸元首相以来の悲願です。国会も、衆院では与党が改憲の発議に必要な三分の二以上の多数を占めます。来年の参院選で勝利し、二〇一七年の通常国会での改憲発議を目指しています。

◆アリの一穴にはするな

 自民党はまず環境権など九条以外の条項から改正発議を提起する腹づもりのようですが、改正しなければ、国民の生命や権利を守れない切迫した事情があるとは到底考えられない。他条項の改正を九条改正に向けた「アリの一穴」としてはなりません。

 平和憲法をつくり、七十年近く改正しなかった先人の選択の重さを今こそ深く考えるべきではないか。それが戦後七十年の節目を生きる私たちの使命と思うのです。


東京新聞社説-戦後70年 憲法を考える 9条を超える「日米同盟」-2015年5月2日


 日本国憲法が施行される前から日本に駐留している米軍。今後はその米軍とともに自衛隊が地球規模で武力行使を含む軍事行動に参加するというのです。


 日本は太平洋戦争後の一九五二年、サンフランシスコ講和条約により、主権国家として国際社会に復帰しました。同時に日米安全保障条約(旧条約)が施行され、敗戦後から駐留していた米軍は正式に基地を置くことが認められました。旧条約は「日本は軍隊を持たないので国を守る手段がない。だから米軍にいてもらう」という内容でした。ただし、日本防衛についてはっきり書かれておらず、日本で暴動が起こった場合、米軍が出動できる決まりがあるなど不平等なものでした。

◆「片手間」の日本防衛

 六〇年、当時の岸信介首相のときに改定され、米国には日本を防衛する義務があること(第五条)、その代わり、日本は米国に基地を提供する義務があること(第六条)が明記され、条約上、日米は対等になりました。

 現行の日米安全保障条約について、外務事務次官、駐米日本大使を務め、「ミスター外務省」と呼ばれた村田良平氏は「村田良平回想録」(二〇〇八年)の中で、こう指摘しています。

 「米国は日本の国土を利用させてもらっており、いわばその片手間に日本の防衛も手伝うというのが安保条約の真の姿である以上、日本が世界最高額の米軍経費を持たねばならない義務など本来ない。もはや『米国が守っている』といった米側の発想など日本は受け付けるべきではないのだ」

 村田氏は〇九年、安保条約改定時に核兵器を積んだ米艦艇の日本寄港に事前協議は必要ないとする日米核密約が存在することを証言した人物でもあります。日米外交の舞台裏を知り尽くした外務官僚の本音といえるでしょう。

◆空文化する安保条約

 村田氏のいう世界最高額の米軍経費とは、日本の米軍経費負担(本年度約五千七百億円)がドイツ、韓国など米軍基地を抱えるどの国よりも多いことを指しています。経費負担は義務ではありませんが、日本政府は在日米軍について、他国が日本への侵略を思いとどまる「抑止力」と説明しており、米軍にいてもらうためには基地だけでなく、カネも差し出さなければならないというのです。

 在日米軍の姿をみていきましょう。在日米軍司令部によると米兵は四万二千人、日本政府が給料を支払う日本人従業員が二万五千人います。主要基地は青森・三沢、東京・横田、神奈川の横須賀、厚木、座間、山口・岩国、長崎・佐世保、沖縄の嘉手納、普天間などで陸海空海兵隊の四軍が使用しています。

 日米安保条約第六条によると、基地は「日本の安全と極東における国際の平和と安全」のために使われ、極東は「フィリピン以北並びに日本およびその周辺の地域」(政府見解)とされていますが、在日米軍は古くはベトナム戦争、近年では、アフガニスタン攻撃、イラク戦争に参戦しています。

 例えば〇五年、沖縄の第三一海兵遠征隊は佐世保基地の強襲揚陸艦、岩国基地のヘリコプターとともにイラクへ派遣され、兵員二千二百人のうち、五十人が死亡、二百二十一人が負傷して沖縄に戻っています。

 「極東」を越える地域への出撃は日米の事前協議が必要ですが、一度も行われたことがありません。日本政府は事前協議が不要な「移動」と解釈し、実際の「出撃」を黙認し続けることによって取り決めを空文化させているからです。戦争放棄を定めた日本国憲法がありながら、在日米軍が行う「米国の戦争」には目をつぶってきたのです。

 日本政府はその態度を改めることなく、今後は米軍との関わりを深めていきます。安倍晋三政権は先月、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を改定し、米国の戦争に積極的に参加することを約束しました。地球規模で連携する日本と米国は、安全保障条約はもちろん、日本国憲法さえも超越した軍事同盟となります。まさに安倍首相が著書「この国を守る決意」の中で言っていた「血の同盟」の誕生です。

 一方で米軍は日本が武力攻撃を受けても自衛隊の作戦を「支援しおよび補完する」(新ガイドライン)にとどまります。村田氏のいう通り「片手間に日本の防衛も手伝う」のかもしれません。

◆「戦争しない国」の変質

 確かなのは、憲法が求め、戦後七十年かけて実現した「戦争をしない国」が変質していくということ。望んで従うのですから、米国が歓迎するのは当然です。憲法九条から逸脱すれば、平和国家としての国際的な信頼は失われていくのではないでしょうか。


東京新聞社説-戦後70年 憲法を考える 「不戦兵士」の声は今-2015年5月3日


 昨年は集団的自衛権の行使容認、今年は安全保障法制…。政権の次の狙いは憲法改正でしょう。戦後七十年の今こそ、しっかり憲法を考えたいものです。

 昨年暮れに「石見(いわみ)タイムズ」という新聞の復刻版が京都の出版社から出されました。社屋が島根県浜田市にあった、この小さな地方紙の創刊は一九四七年で、今のところ五三年までの紙面が読めるようになったのです。

 故・小島清文氏が主筆兼編集長を務めました。小島氏が筆をふるったのは約十一年間ですが、山陰地方の片隅から戦後民主主義を照らし出していました。

◆白旗投降した海軍中尉

 「自由を守れ」「女性の解放」「文化の存在理由」「文化運動と新しき農村」…。社説を眺めるだけでも、新時代の歯車を回そうとする言論の力がうかがえます。

 例えば「民主主義の健全なる発達は個人の教養なくしては望めないし、自らの属する小社会の改善から始めねばならない」などと論じます。日本に民主主義を根付かせ、二度と戦争をしない国にするという思いがありました。何しろ経歴が異例な人です。

 小島氏は戦時中、慶応大を繰り上げ卒業し、海軍に入りました。戦艦「大和」の暗号士官としてフィリピンのレイテ沖海戦に従います。その後、ルソン島に配属され、中尉として小隊を率いました。

 でも、この戦いは米軍の攻撃にさらされ、同時に飢えや病気で大勢の兵隊が死んでいきました。ジャングルの中は死屍(しし)累々のありさまです。「玉砕」の言葉も出るほどの極限状況でした。

 小島氏は考えました。「国のために死ね」という指揮官は安全な場所におり、虫けらのように死んでいくのは兵隊ばかり…。連合艦隊はもはや戦う能力もない…。戦争はもうすぐ終わる…。考えた末に部下を引き連れて、米軍に白旗をあげ投降したのです。

◆傍観者では亡(ほろ)びの道

 この投降を誰が非難できるでしょうか。むしろ「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」により、死なずに済んだ命は無数にあったはずです。白旗は無責任な戦争指導への非難にも思えます。

 小島氏の名前が世間に知られるようになるのは、新聞界を退いてからずっと後です。八八年に「不戦兵士の会」を結成し、各地で講演活動を始めたのです。ひたすら「不戦」を説きました。

 九二年に出した冊子ではこう記します。

 <戦争は(中略)国民を塗炭の苦しみに陥れるだけであって、なんの解決の役にも立たないことを骨の髄まで知らされたのであり、日本国憲法は、戦勝国のいわば文学的体験に基づく平和理念とは全く異質の、敗戦国なるが故に学んだ人類の英知と苦悩から生まれた血肉の結晶である>

 憲法の平和主義のことです。戦後日本が戦死者を出さずに済んだのは、むろん九条のおかげです。自衛隊は本来あってはならないものとして正当性を奪い、軍拡路線にブレーキをかけてきました。個別的自衛権は正当防衛なので、紙一重で憲法に整合しているという理屈が成り立っていました。

 しかし、安倍晋三政権は従来の政府見解を破壊し、集団的自衛権の行使容認を閣議で決めました。解釈改憲です。今国会で議論される安全保障法制は、他国への攻撃でも日本が武力行使できる内容です。「専守防衛」を根本から覆します。九条に反してしまいます。

 権力を縛るのが憲法です。これが立憲主義の考え方です。権力を暴走させない近代の知恵です。権力が自ら縛りを解くようなやり方は、明らかに立憲主義からの逸脱です。

 小島氏は二〇〇一年の憲法記念日に中国新聞に寄稿しました。

 <権力者が言う「愛国心」の「国」は往々にして、彼らの地位を保障し、利益を生み出す組織のことである。そんな「愛国心」は、一般庶民が抱く祖国への愛とは字面は同じでも、似て非なるものと言わざるを得ない>

 <われわれは、国歌や国旗で「愛国心」を強要されなくても誇ることのできる「自分たちの国」をつくるために、日本国憲法を何度も読み返す努力が求められているように思う。主権を自覚しない傍観者ばかりでは、権力者の手中で国は亡(ほろ)びの道を歩むからだ>

 権力が改憲をめざす以上、主権者は傍観していられません。

◆戦争は近づいてくる

 小島氏は〇二年に八十二歳で亡くなります。戒名は「誓願院不戦清文居士」です。晩年にラジオ番組でこう語っています。

 <戦争というのは知らないうちに、遠くの方からだんだん近づいてくる。気がついた時は、目の前で、自分のことになっている>

 「不戦兵士」の忠告が今こそ、響いて聞こえます。


読売新聞社説-憲法記念日 まず改正テーマを絞り込もう-2015年05月03日


 ◆「緊急事態条項」の議論深めたい◆

 きょう施行68周年を迎えた日本国憲法は、一度も改正されたことがない世界で希有けうな存在だ。

 日本の社会や国際情勢の劇的な変化に伴う、憲法と現実の乖離かいりを解消する必要がある。与野党は、憲法改正論議に本腰を入れねばならない。

 憲法改正の手続きを定める国民投票法は2007年5月に成立した。14年6月には国民投票権を当面は「20歳以上」とし、施行4年後には「18歳以上」に引き下げる改正法も制定された。改正に向けての環境は整備されつつある。

 ◆現実的なアプローチで

 衆院憲法審査会は連休明けの7日に会合を開き、今後の審議内容に関する各党の意見表明などを行う。最初に取り組むべきは、改正テーマの絞り込みである。

 自民党は、「大規模災害などの緊急事態条項の新設」「環境権など新たな権利の追加」「財政規律条項の新設」の3項目を優先するよう提案している。

 16年夏の参院選を経たうえ、17年の通常国会前後に国会が改正を発議し、国民投票を実施する日程案も取りざたされる。

 無論、憲法改正のハードルは高い。衆参各院の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票で過半数の賛成を得ねばならない。

 憲法9条の定める自衛権のあり方や衆参両院の役割分担の見直しは、極めて重要な課題である。96条の発議要件の緩和も、高すぎる改正のハードルを是正するのに有効だ。ただ、いずれも国会での合意形成には時間を要しよう。

 憲法改正は条項別に実施されるため、全体を見直すには、国民投票を複数回行う必要がある。まず、より多くの政党の賛成が得やすいテーマから取り上げるのが現実的なアプローチだろう。

 世界のほとんどの国が憲法に緊急事態条項を備えている。

 東日本大震災のような緊急事態時には、多くの国民の生命や財産を効果的に守ることが最優先される。首相権限を一時的に強め、地方自治体などを直接指揮することなどを可能にしておくことには、幅広い理解が得られよう。

 自民党が12年4月に発表した憲法改正草案は、首相が緊急事態を宣言すれば、法律と同等の効力を持つ政令を内閣が制定できるとしている。その政令は国会の事後承認が必要となる。

 憲法に、どんな条項を新設するのか。法律では、より具体的に何を定めておくのか。与野党は、大いに議論を深めてもらいたい。

 環境権など、新たな国民の権利の追加も重要なテーマである。

 良好な環境を享受する権利については、自民党に加え、「加憲」の立場の公明党も前向きだ。

 ◆環境権の新設も課題だ

 昨年夏の衆院憲法審査会の欧州視察では、環境権の新設が違憲訴訟の増加を招く恐れがあるとの指摘を受けたという。こうした課題も含めて、新たな権利に関する議論を掘り下げることが大切だ。

 財政規律条項にも、同様の論点がある。国家財政の健全性を維持することは重要だが、不況対策としての機動的な財政出動が制約されるのは避けねばなるまい。

 疑問なのは、民主党が「安倍政権の下では、改正論議に応じられない」などとして、後ろ向きな姿勢を続けていることだ。

 現憲法について「連合国軍総司令部(GHQ)の素人たちがたった8日間で作り上げた代物」とする13年の安倍首相の発言を、「憲法軽視」と問題視している。

 憲法がGHQ主導で作成されたのは事実だ。この発言を根拠に憲法論議さえ拒むのは野党第1党としての責任の放棄ではないか。

 党内に改正に前向きな勢力と慎重な勢力を抱える中、対立の深刻化を避けるために論議を先送りしているようにしか見えない。

 ◆幅広い合意形成目指せ

 維新の党は、憲法改正に基本的に前向きだ。道州制、一院制など統治機構改革に力点を置きつつ、自民党の優先する3項目についても理解を示す。最高顧問の橋下徹大阪市長は「できることがあれば、何でもする」とまで語る。

 「自主憲法の制定」を前面に掲げる次世代の党は、国家緊急権の規定などを主張している。

 多くの政党や議員が改正に賛成するが、実際に改正項目を絞り込み、具体的な改正原案をまとめ上げる作業は簡単ではない。各党が積極的に歩み寄り、幅広い合意を得ることが肝要である。

 国民全体の改正機運を醸成する努力も欠かせない。自民党は、他党や関係団体の協力も得ながら、国民との対話集会などを充実させてもらいたい。


産経新聞主張-憲法施行68年 独立と繁栄守る改正論を 世論喚起し具体案作りを急げ-2015年5月3日


 「希望の同盟-。(日米が)一緒でなら、きっとできます」。安倍晋三首相は先月29日の米議会演説を、こう結んだ。

 だが、この言葉を真に実現するには、大きな障害が存在していることを忘れてはならない。

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という憲法前文の規定である。

 自国の安全保障を他者に依存する「基本法」を抱えたままで、世界の安全と繁栄にどう貢献していくというのか。

 ≪9条が国防を損なった≫

 憲法施行から68年がたち、日本を取り巻く環境は、受動的な防衛政策や一国平和主義の継続を、もはや許さないところに来ているのではないか。

 日本が国際社会で生き残り、独立と繁栄を維持していくには、憲法を論じ、国のかたちから考え直す作業が欠かせない。

 改正国民投票法の施行で、国会が発議すれば、憲法改正国民投票を実施できる仕組みが整った。その後、初めて迎える憲法記念日である。主権者である国民にこそ、あるべき憲法と国家像を思い描くことが求められている。

 なぜ憲法改正が必要か。大きな理由の一つは、さきの前文規定とともに、9条が国の守りを損なってきたことだ。それは、憲法が擁護すべき大切な価値さえ国家として失いかねないということだ。

 大切な価値とは、日本の独立や国柄、領域、国民の生命財産である。同時に、米国はじめ民主主義諸国と共有する自由の価値観、基本的人権、法の支配などだ。

 9条は戦後の平和主義を象徴するものだったが、「戦力の不保持」規定などは軍事を正面から議論することを忌避する風潮を助長してきた。

 「専守防衛」も、国会対策から生じた政治スローガンにすぎないものが、基本方針のように位置付けられた。防衛政策や防衛態勢を抑制し、自衛権を十分に行使できなくしてきた弊害は甚大だ。

 先の日米首脳会談で、安倍首相とオバマ大統領は日米同盟を地球規模へ広げることで合意した。それを支えるのは、新しい「日米防衛協力指針(ガイドライン)」であり、自衛隊の集団的自衛権の限定行使容認を反映させる。

 それに向け、安倍政権が9条の政府解釈の是正に踏み切ったことは、むろん安全保障政策の大きな転換である。だがゴールではないことも明確にしておきたい。

 安保関連法案は条文化作業の段階に入ったが、ここにいたる間にも、集団的自衛権行使などで、9条の解釈をめぐり過剰な歯止めがかけられてきた。万が一の際、自衛隊にとって、機動的に役割を発揮しにくくなる懸念をもたらしている。

 国連決議に基づく集団安全保障措置にしても、今の9条の下では自衛隊の武力行使は認められない。国際社会のフルメンバーとしての責任を果たせない。

 9条改正で自衛隊を「軍」と正式に位置付けなければ、解決しない問題となっている。

 ≪緊急事態の備え大切だ≫

 国会では、衆参の憲法審査会で、緊急事態条項の創設を優先課題にするかが焦点だ。東日本大震災を経験し、関心が高まっている面もあろうが、緊急時に国家が国民の生命財産をいかに守るかという意味では、安全保障も同様である。不備は正さねばならない。

 気がかりなのは、国民が憲政史上初めて、憲法改正の是非を決められるようになったにもかかわらず、その機運が必ずしも高まっていないことだ。産経新聞とFNN(フジニュースネットワーク)の4月の世論調査では、憲法改正に賛成する人は40・8%で、反対の47・8%を下回った。

 改正賛成派が過半数だった時期もある。集団的自衛権の限定行使に対する世論の理解が十分進んでいない面もあろう。安倍首相や自民党は、安全保障と憲法の関係や改正の意義について、より丁寧な説明を重ねなければならない。

 首相が訪米時にさまざまな場面で示した日本の「青写真」について、いかに具体的な肉付けを図っていくかは、今後の主要な政治課題になった。それは憲法改正や国家像に重なるものだ。

 首相は改めて憲法改正勢力の結集を図るべきだ。政権を競い合う政党は、正面から議論に参加してもらいたい。


毎日新聞社説-:憲法をどう論じる 国民が主導権を握ろう-2015年05月03日


 「憲法とは、未完のプロジェクトである」−−。今年初めに亡くなった奥平康弘元東京大教授は、米国のある憲法学者の考え方として、こんな言葉を紹介していた。

 時代にそぐわない部分があれば、手直しすることもあっていい。だが憲法には、時代を超えて、変えてはならないものがある。自由や平等などの基本的な人権である。これらは「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(97条)として、私たちが享受しているものだ。

 未完のプロジェクトとは、そうした理念に新しい生命を与えて、社会に根づかせていく、絶え間ない歩みのことにほかならない。

 ◇憲法への尊重欠く政治

 いま政治に携わり、国を動かそうとしている人々に、憲法へのそうした理解と尊重が、果たしてどれだけ備わっているだろうか。

 安倍政権と自民党の憲法改正の議論を見ていると、そこには、憲法の本質をゆがめかねない危うさが、潜んでいるように思える。

 確かに、憲法をより良いものに作りかえることは、民主国家なら、当たり前のルールである。

 ただし、憲法を論ずる際、忘れてはならないことがある。

 国民を縛るものではなく、国や政治家など権力を縛るもの、という憲法の根本原理だ。11条が基本的人権を「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」とうたい、99条で閣僚や国会議員、公務員らに「憲法を尊重し擁護する義務」を課しているのは、まさにそのためである。

 ところが、自民党の改憲草案は、政治家の擁護義務の前に「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」という項目を盛り込んだ。まず国民に憲法尊重義務を課す、という逆立ちした原理が、自民党の改憲論を支える思想なのだ。

 さかさまの憲法原理が目指す、改憲の目的とは何か。それは、国や政治家が、自分たちの手に憲法を「取り戻す」ことであろう。

 そこには、二つの側面がある。一つは、連合国軍総司令部(GHQ)が作った憲法を、日本人自身の手で書き換えること。いわゆる「押しつけ憲法」論である。憲法を、国家のアイデンティティーの確立に利用する、上からの憲法論だ。

 二つ目は、憲法を、国民の手から政治家の手に「奪い取る」という発想だ。安倍政権が2年前、96条を改正し、国会の改憲発議に必要な数を衆参両院の3分の2以上から過半数に下げて改憲しやすくしようとしたのは、その典型である。

 改憲の矛先を、本丸の9条から96条に変え、国民に受け入れられないと知るや、今度は環境権や緊急事態条項、財政規律条項などを追加してはどうか、という。変えやすいところを変えて、国民の抵抗感を薄め、次の9条改正をやりやすくする、という「お試し改憲」論は、憲法をもてあそぶ態度に等しい。

 皮肉屋で知られたドゴール元フランス大統領は「政治は、政治家に任せるにはあまりに重大すぎる」と語ったことがある。それにならって言うならば、立憲主義や憲法体系に対する無理解が政治にはびこる現状には「憲法改正は、政治家に任せるにはあまりに重大すぎる」と、同じ皮肉を込めざるを得ない。

 ◇押しつけ改憲にさせぬ

 ここ数年、私たちは、憲法の理念がないがしろにされている現実を、目の当たりにしてきた。

 長年の憲法解釈をあっさり踏み越えた、集団的自衛権の行使容認と安保法制の拡大。知る権利を制限し、民主社会の基礎である自由な情報の流通を妨げる、特定秘密保護法の制定。震災復興の遅れ。貧富の格差の拡大。選挙に勝てば何でもできると言わんばかりの、異論を封じ込める空気。13条の幸福追求権も、25条の生存権も、さまざまな基本的人権が危機にさらされている。

 改憲に向けた衆院憲法審査会の議論は、大型連休明けに本格化する。憲法の根本原理を作りかえ、政治が使い勝手を良くするための「押しつけ改憲」には、明確にノーを言いたい。憲法が国民のものである以上、論議の主導権も、政治家ではなく、国民が握るべきである。

 憲法をめぐる議論はまず、窒息しかかっている理念や条文に、もう一度、新しい空気を吹き込むことから始めるのがいい。既にある憲法を生かすことさえできない政治が、別の憲法を作って生かそうとしても、できるはずはないからだ。

 そのうえで、あえて見直す必要があるとすれば、それはどこか。例えば、衆院と参院の関係など、統治機構の改革によって、政治家の質の向上を図るのも一つの考えだ。政治による発議をただ待つ、受け身の姿勢ではなく、改憲することの是非も含め、議論の優先順位は私たち国民が決める姿勢を持ちたい。

 成文憲法のない英国の国王ジョージ5世(1865〜1936年)は憲法と国のあり方について「忍耐と伝統と経験の積み重ねであり、一つの時代や政党の発明ではない」という言葉を残した。憲法とは、政治家や政党の玩具ではない。それは国民の、権利の基盤である。


by asyagi-df-2014 | 2015-05-04 06:08 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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