沖縄からー「故郷が戻ったよ…先祖に報告」、これが沖縄の姿

「故郷が戻ったよ…先祖に報告」と、2015年4月15日の沖縄タイムスは、宜野湾市安仁屋地域の一部が70年ぶりに軍用地から解放されたことを報じた。
 ただ、あわせて、「返還されたのは集落の山側にあたる部分で居住適地とはいえないため、安仁屋の地名が復活しても戻る人は少ないだろうというのが大方の見方。ただ61歳で『安仁屋』を知らない一人でもある郷友会長の仲村さんは『公的な支援も得て拝所を返還地に移し、会員が集まる場所がつくれたらいい』と話す。集落の地形は変わったが、いつでも戻れるよう集落の家や田んぼを記した図面は今も郷友会で保管している。『いつか帰れる日』を信じ、老若の会員は安仁屋のつながりを守り続ける。」と、伝えている。

 これが、沖縄の事実である。
 「沖縄の構造的差別」を現している。

 以下、沖縄タイムスの引用。






沖縄タイムス-故郷が戻ったよ…先祖に報告 宜野湾市「安仁屋」一部返還-2015年4月15日


 【宜野湾】父祖の地が一部とはいえ返ってきた-。西普天間住宅地区が3月末で返還され、集落全体がキャンプ瑞慶覧用地に取られていた宜野湾市安仁屋地域の一部が70年ぶりに軍用地から解放された。安仁屋の元住民やその子孫たちでつくる安仁屋郷友会(仲村博会長)は11日、会が市野嵩で維持する集落の拝所で清明祭を開き、先祖の霊に一部返還を報告した。(前田高敬)

 安仁屋は市の北側で北谷町と隣接し、戦前、県内三大美田の一つといわれた「北谷ターブックヮー」の一角をなす美しい田園地帯だった。前里幸廣さん(78)は「区画がきちんと整理され、湧水を引く簡易な水道も整備されていた」と当時を振り返る。六十数戸と宜野湾最小の集落ながら自前で闘牛を開くなど結束の強い地域でもあった。

 戦後、全域がキャンプ瑞慶覧用地に取られたが、しばらくは開放地で自由に出入りできたためかろうじて安仁屋の地域的なつながりは保てた。だが1955年に隣り合う伊佐浜が強制接収されると安仁屋にも立ち入りができなくなる。「北谷の浜から相当量の土砂を引き上げ(安仁屋の住宅や田んぼがあった低地側)一帯を埋めてしまった」と當間繁さん(78)。接収後、米軍が行った整地で当時の集落の面影はほとんど消えた。

 64年には行政区再編により、それまで旧安仁屋住民でつくる区域のない特別の自治会としてエイサーなども行っていた安仁屋区が消え、郷友会と野嵩の拝所だけが元住民らをつなぐ絆になった。「清明祭など郷友会行事は『安仁屋』を知らない若者に故郷の記憶を伝える機会だ」と仲村廣さん(78)は話す。

 返還されたのは集落の山側にあたる部分で居住適地とはいえないため、安仁屋の地名が復活しても戻る人は少ないだろうというのが大方の見方。

 ただ61歳で「安仁屋」を知らない一人でもある郷友会長の仲村さんは「公的な支援も得て拝所を返還地に移し、会員が集まる場所がつくれたらいい」と話す。集落の地形は変わったが、いつでも戻れるよう集落の家や田んぼを記した図面は今も郷友会で保管している。「いつか帰れる日」を信じ、老若の会員は安仁屋のつながりを守り続ける。


by asyagi-df-2014 | 2015-04-16 14:58 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧