小林武「平和的生存権の弁証」の「Ⅲ沖縄が問う平和的生存権」を読む-司法も政治も沖縄に学ぶということ

著書名;平和的生存権の弁証
著作者;小林武
出版社;日本評論社

 小林は、日本政府の姿勢を「日本政府が常に取っている根本姿勢は、アメリカの軍事的要請を絶対視して受容することであり、政府はそれを安保条約上の義務であると強弁する。」と、言いあてる。このことは、2015年現在の辺野古新基地建設の政治的状況をめぐる安部晋三政権の強権的姿勢そのものの背景として変わらずある。
 その中で起こってきたことは、「政府が約束した米軍基地の『整理・縮小』も、基地は沖縄県内でたらいまわしされ、のみならず演習が本土各地に拡大されるという体のものであった。米軍基地機能は、更新・強化さてているのが実態である。」ということであり、まさしく日本(辺野古)の現状である。

 小林は、現在の日本における「平和的生存権」の状況、特に沖縄におけるその状況を次のように指摘する。
 「この国で、『平和のうちに生存すること』は、すべての国民にとって、日本国憲法により明文上保障された権利である。しかしながら、この平和的生存権は、公権力により蔑ろにされ、とりわけ沖縄では、第二次世界大戦における地上戦終結以来、今日に至る半世紀以上の間、その間に『講和条約』が締結されようと、『祖国復帰』がなされようと、それを越えて圧倒的な米軍基地が存在しつづけることによって、一貫して基本的日常的に侵害されてきた。」
 このことに加えて、沖縄は次のような具体的な状況を負わされてきたとする。
 「沖縄は、経済的発展が著しく遅れた県でありつづけているが、政府は、従来より、このことを逆手にとって、経済振興の利を掲げて米軍基地の引き受けを迫ってきたのであり、今日の局面では、特にこれが鮮明にあらわれている。」
 こうした沖縄のありようを見る時、2011年3月11日の福島の原発震災を経験した今、日本政府の「構造的問題」を感じざるを得ない。

 さて、こうした日本及び沖縄の状況を受けた中で、小林は、「沖縄問題」の中心は「沖縄問題の孕む法的緒論点の結節点に位置するものは、平和的生存権であるように思われる」と、する。
 また、「沖縄の法的諸問題は憲法原理全体を覆うものであって、すなわちそれは、国家主権を柱とし地方自治を場とする空間における国民主権と平和と人権のあり方のすべてを問うている」と、日本にとっての「沖縄問題」の位置づけを、憲法問題及び平和的生存権の問題を考える基になると明確にする。
 小林はこの文脈の中で、平和的生存権に関しての裁判規範性を消極に解する現状の司法等のあり方に対して、これに対抗するものとして、「沖縄問題」をとおして平和的生存権の具体性的な侵害性を理解することができると、説明する。
 それは、第一に、「平和的生存権の侵害は、具体的な生活の中で日常的・常態的に、かつ長期にわたって恒常的に生じてきたものとしてとらえられている」ということ。加えて、「この侵害は、沖縄に集中的に、偏重してあらわれていて、その点で、国政上の差別が沖縄において顕著である」こと。さらに、「米軍基地に起因する被害は沖縄全域(全島)に及ぶものであることも加えられる」と。
 次に第二に、「平和的生存権の個別的内容が、いずれも具体的な形で導き出され、また反面、諸人権に新しい意味を付与し、そのようにして、平和的生存権の内包・外延が極めて広いものとなっている」とも指摘する。 
 このことについては、具体的に次のように指摘する。
 第一に、「その内容が現実化・具体化されたところの平和に生きる権利が(平和な生活をいとなむことを阻害されない権利)である。平和に生きることの保障は、沖縄ではこのように切実かつ重大な課題として日々日常化している。」こと。
 第二に、「世界の人々に対する米軍による加害行為に加担することを拒否する権利であり、これは、上記一で述べた、自らが平和のうちに生きることと表裏をなす。」こと。
 第三に、「戦争につながる行為に自己の財産を使用させない思想信条の自由である。」こと。
 第四に、「軍事目的によって私有財産を強制的に収用・使用されることのない権利である」こと。
  このことに加えて、地方自治原則との結合として、「平和的生存権は、沖縄問題を通して、それが地域の住民の人権であり、また地方自治体の自治権を醸成するものであるとの新しい意義を獲得したことも指摘できる」と、する。
 それは、「『地方のレベルにおいても住民が人間としての生存と尊厳を維持し、自由と幸福を求めて平穏な生活が保障されていなければなら」ず、「それが、地方自治の本旨の内容の一つであり、地方公共団体は、このような住民の平和的生存権を保障する責務を負っている」と。これは、地方自治の保障を人権の側から照射して、それが平和的生存権の実現をも任務とするものであることを具体的に明らかにしたものである」と、説明する。
 現在の名護市や沖縄県等の動きは、まさにこのことを体現している。

 結局、沖縄問題における平和的生存権のあり方は、「その具体的裁判規範性を消極に解するところにとどまっている従来の判例・通説に大きなインパクトを与えるに違いなく、またそのように受け取るべきことが求められているものと思われる。これら消極論が根拠とするものは、共通して、『平和のうちに生存する権利』の『平和』などの概念が多義的・抽象的であるとするところにあるが、沖縄の実態は、『平和』」の内容を疑いもなく一義的・具体的に明示するものだからである。」と、鋭く規定する。
 また、この平和的生存権規定は、「政府に対しては、軍備をもたず軍事行動をしない方法で国際平和実現の道を追求する星和施策の遂行を法的に義務づけ、そして国民には、政府が平和政策をとるよう要求し、また自らの生存のための平和的環境をつくり維持することを各自の権利として保障したもの、と解することができる。そして、この、前文に直接の根拠をもつ平和的生存権は、九条で具体化された上で、一つには、一三条をはじめとする第三章各条項に定められた諸人権と結合して機能し、また、一つには、第三章の各人権がカバーしていない領域ではそれ自身が独自の意味をもつ人権として働くものであるといえる」と、まとめる。
 この上で、沖縄の闘い(沖縄裁判)は、「平和的生存権の多様な規範的意味を逐一具体的に明らかにしたわけであり、それは、今日の平和的生存権論を豊富化・豊穣化しまたそのことによりこの権利を裁判規範たりうる具体的権利と認めることに大きく寄与するものといえるのである。」とする。

 最後に、「沖縄問題解決の道には、繰り返し様々な障が立ちはだかる。その過程で、平和的生存権もまた、試練を受け、それをとおしてより豊かなものに育っていく。沖縄が発信する、人々の平和に生きる権利のありようについての問いかけに、耳を傾け、これを共有して、平和憲法学の構築にあたらなければなるまい。」と、自らの決意を表明する。

 辺野古新基地建設に明確に反対していく上で、この小林の平和的生存権を深く理解する必要がある。


by asyagi-df-2014 | 2015-04-13 06:10 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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