沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第21回

沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
 そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。
三上知恵の沖縄撮影日記。
 
  今回の報告は、「この連載も今年はこれで最後だ。」とされ、「毎週水曜日に欠かさず更新してきたこの撮影日記は週に一度から月に一度に変更することになった。」との報告であった。
 恐らく、三上さんが伝えたいだろうこと。
「沖縄では確かに、大きな何かが変化した。しかし日本の国としては、パワーアップした安倍内閣が暗黒の時代を引き寄せている。来年は沖縄の真価が問われる年になる。島の命の連なりを支えてきた紺碧の海を背に、譲れないものをどう守るのか。恵みの海を潰し、先祖の顔を潰して、子孫の宝まで差し出す愚に気づいてしまった沖縄県民が、どこまで鈍角の闘いを展開できるのか。それは困難この上ない長い道のりで、ゴールなど有るのかも知れぬが、少なくとも去年の暮れよりも今のほうが、私は来年に希望を持っている。」
 そして、このことも。
「骨太で根性が有って、口は悪くても情が厚い旧久志村の女性たち。基地反対運動の取材から入ったために拒絶から始まった辺野古区の人々とのつきあいなのだが、通うほどに引き寄せられる。辺野古区にのしかかる基地問題は沖縄の、日本の命運を左右する問題だ。しかし政治の思惑に翻弄され揺さぶられ続ける中でも、地域の和を自衛手段とし、誇りを持って生きようとする人たちの未来を、私は全力で守りたい。
 敗戦の惨めさを超え、押しつけられた基地と折り合いを付け、プライドを失わないように生きてきた沖縄。その縮図が辺野古だ。「彼らは容認派である」とレッテルを貼り、負の歴史と決別できない自分たちの不甲斐なさを基地に寄り添う人たちになすり付けてきた構図にわたしたちはそろそろ気付くべきだし、その先に進む展望を共に分かち合う時期に来ているのだと思う。」

 以下、三上知恵の沖縄撮影日記の引用。







三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第21回

素顔の辺野古~55年間基地と生きた集落~

 この連載も今年はこれで最後だ。
 今年は激動の年だった。春、長年勤めていた放送局を辞め、大手を振って辺野古や高江の現場に通えるようになった。7月からは連日、海もゲート前も、早朝も深夜も、大久保千津奈カメラマンと二人駆けずり回った。今年は大変な年になる。現場にいなくては。そういう強い予感が古巣を巣立つ決意を促した。そしてその予感は的中した。辺野古の基地建設は予想通り窮地に追い込まれた。ついにボーリング調査で海に穴をあけられてしまった。

 しかし私の悪い予感を上回る「地殻変動」もこの目で見ることができた。稲嶺名護市長の再選、沖縄地方選挙の異変、オール沖縄の知事誕生、そして衆院小選挙区で自民全員落選。まさに「平成島ぐるみ闘争」のうねりが沖縄全土を波打たせて拡がっていく、その余震が激震になっていく渦中に身をおいた。これ、本物なのかなあ、夢ではなく本当に沖縄列島のマグマが吹き上がり始めたのかなあと何度も自問しつつ、心臓がバクバクするような日々を今も疾走している感覚だ。

 沖縄では確かに、大きな何かが変化した。しかし日本の国としては、パワーアップした安倍内閣が暗黒の時代を引き寄せている。来年は沖縄の真価が問われる年になる。島の命の連なりを支えてきた紺碧の海を背に、譲れないものをどう守るのか。恵みの海を潰し、先祖の顔を潰して、子孫の宝まで差し出す愚に気づいてしまった沖縄県民が、どこまで鈍角の闘いを展開できるのか。それは困難この上ない長い道のりで、ゴールなど有るのかも知れぬが、少なくとも去年の暮れよりも今のほうが、私は来年に希望を持っている。

 さて新作映画については、現場に通う日々に終止符を打ち、1月は編集に入ることになるため、毎週水曜日に欠かさず更新してきたこの撮影日記は週に一度から月に一度に変更することになった。7月の公開に間に合わせるためにはギリギリのスケジュールになのでどうかご理解いただきたい。ただ、年明けも5日からまた海で桟橋の設置作業が始まると報道されたとおり、再び大規模な海上の衝突が起きるのは避けられない状況である。大きな動きがあったときにはこのページでお伝えしていきたい。

 毎週連載の最後に、「辺野古の素顔」を少しばかり紹介したい。

 わたしが「辺野古が追込まれる」などと表現するときの辺野古は「17年間、辺野古の基地建設に反対してきた現場」を指しているのであって、行政区の「辺野古」という意味ではないことが多い。戦後70年、軍事的植民地にされてきた沖縄が、今また自らそれを選択するかどうかが問われる最前線としての「辺野古」を語ることは喫緊の課題である。だが同時に私は「集落としての辺野古」のことをとても大事に思ってきた。取材に通ったこの10数年で、正月からウマチー、ハーリー、角力大会に綱引き、エイサー、運動会など1年の行事はほとんど見せていただいた。民俗学を学んできた者として、こんなに多彩な行事を生き生きと守り伝え、勢いと団結力に富み、区民全体がそれを楽しみと受け止めている集落はとても貴重だ。見ていて気持ちが豊かになる。そして他の集落と大きく違うのは、折々の場面で55年間隣人であり続けているキャンプシュワブの兵士らと共に地域の行事を開催していることだ。

 例えばハーリー競漕や角力大会には必ず米兵が参加して場を盛り上げるし、今回動画で紹介する運動会も、辺野古区の10の班の対抗戦なのだが、毎年「11班」として米兵が参加する。その屈託のない笑顔は、戦争の訓練をして戦場に行く人たちであることを忘れさせる。仲良く、トラブルさえ起こさないようにすれば米軍と共存してもいいのでは、という気持ちにもなる。
だからこそ私は安易にその様子を伝えたくなかった。これまでそういう交流の場を大げさに取り上げて「辺野古は基地あっての街。実は基地を望んでいる」と短絡的な解釈ばかり報道されてきた。「海兵隊と仲良くする辺野古」は、基地を押しつける側の罪悪感を慰撫してくれる格好の材料になるし、繰り返し求められてきた場面だった。

 実際、辺野古は、沖縄の他のどの地域よりも基地との交流が盛んで距離が近い。もちろんベトナム戦争の時代には、精神的にすさんだ兵士による区民の殺害事件が幾つもあった。軽犯罪などは数え切れない。それを少しでも減らすために辺野古区は苦心してきた。占領下の警察が、民政府が、一体何をしてくれたか。明日、ベトナムに飛んで命を落とすかも知れない米兵が歓楽街で酒を浴びて女性にすがりつく。朝方まで働く母や姉たちと入れ違いにその中で学校に通い、成長する青年たちは、どこの誰よりも地域の安全を確保する手段を真剣に考えただろう。その大きな柱が、キャンプシュワブと辺野古区でつくる親善組織だった。イベントの共催だけでなく、旧部落は日没後は歩かない、この通りから向こうには出入りしない、など県も政府も通さない両者の合意が数々あって、それは今もキャンプシュワブの中でちゃんと守られているという。これは、日米合同委員会で決めて降ろしても守られない規律などと違って、顔が見える関係性を築いて来たからこそ、「守らせている」「人間としての尊厳を認めさせている」のであって、辺野古の地域だけがもつ力だと私は思う。軍が悪い、政府が悪いと人のせいにして動かないのではなくて、面倒でも正面から向き合い、交流を重ねてきた結果、事件や事故を最小限に食い止めてきたという自負が辺野古区民にはあるのだ。だからこそ、誇らしく運動会や角力大会を取材させてくれるのであって、その結果「基地とその恩恵が大好きな辺野古」のような偏見で報道されたら、彼らがどんなに悲しい思いをするかわかって欲しい。

 基地の押しつけと、他国の戦争に翻弄され続けた沖縄の歴史。それは確かに負の歴史であるが、負の歴史を地域の力で、日米の組織など当てにしない、人間対人間の力で前向きに転換してきた辺野古区民のありようはもっと知られていいはずだ。でもそれを「今後もアメリカ軍と生きていくのも悪くないでしょう?」というロジックに絡め取られずに伝えることが本当に難しい。今回紹介する動画だって、この文章抜きに見たら「なんだ。辺野古って米軍と宜しくやってるじゃん」と都合良く消費されてしまう可能性が高い。

 創業49年。辺野古社交街でも屈指の老舗「ピンクダイヤモンド」のママは70才を超えた。ここは孫ほど年の離れた米兵らでいっぱいになる人気店だ。奄美出身の色白美人で、運動会が大好きで、歴代応援団長を務めてきたという。内地の新聞記者も、飲んだら自宅に泊めて翌日空港まで送らせるなど、人間好きな魅力的な女性である。そんなママも、辺野古の魅力はその結束力と人情だと語ってくれた。

 動画でもママが話しているが、私が最近になってようやくわかったこと。それは辺野古だけではなく名護市東海岸、旧久志村の女性たちの特徴なのだが、言い回しがキツイのだ。長い間、みんなが嫌がる基地の取材ばかりして歩いている人間だから嫌われているのだろうとばかり思っていたのだが、そうでもないらしい。汀間でも、嘉陽でも、仲よくなったと思い込んでいたおばあたちに「また来ようね~」と別れを告げる際に「ううん。もう来ないで」と言われることが多い。「そうか。じゃあ次はこんなカメラを持たないで来るから、それならいい?」とどぎまぎする私におばあたちは「来て何する。来るな」と言う。でも、顔は笑っているのだ。

 文子おばあにその話をしたところ「クククっ」と意地悪く笑ってこう言った。
 「あんたそう言われたら本物だねえ。また来て下さいねえ、なんて社交辞令を言われているうちは嘘なの。もう来るな。と追い払ったのに来てくれたら、余計に嬉しいでしょ?」

 骨太で根性が有って、口は悪くても情が厚い旧久志村の女性たち。基地反対運動の取材から入ったために拒絶から始まった辺野古区の人々とのつきあいなのだが、通うほどに引き寄せられる。辺野古区にのしかかる基地問題は沖縄の、日本の命運を左右する問題だ。しかし政治の思惑に翻弄され揺さぶられ続ける中でも、地域の和を自衛手段とし、誇りを持って生きようとする人たちの未来を、私は全力で守りたい。

 敗戦の惨めさを超え、押しつけられた基地と折り合いを付け、プライドを失わないように生きてきた沖縄。その縮図が辺野古だ。「彼らは容認派である」とレッテルを貼り、負の歴史と決別できない自分たちの不甲斐なさを基地に寄り添う人たちになすり付けてきた構図にわたしたちはそろそろ気付くべきだし、その先に進む展望を共に分かち合う時期に来ているのだと思う。


by asyagi-df-2014 | 2014-12-24 22:04 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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