沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第16回

 沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
 そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。
三上知恵の沖縄撮影日記。
 
 
 今回の報告は、「我々は勝った。負けたのは暴走する安倍政権なのだ。私達は絶対に戦争する国にはならないし、戦争に加担したくない。原発で地球を滅ぼしたくもない。必死で叫んでいる民の声を聞かない政府には、交代してもらうしかない。沖縄の新しいステージは始まった。この平成島ぐるみ闘争が全国に飛び火して、国民のための本物の政治を引き寄せてくる原動力になれれば、70年の戦世(イクサユー)はたちまち弥勒世(ミルクユー)に昇華していくだろう。」というメーセージにすべてが書き込まれている。
 また、一つだけ取り上げるとすると、「ひとつのきっかけは、昨年末報道された、県民が忘れられないあの光景である。沖縄選出の自民党議員達が辺野古容認にくら替えさせられ、石破幹事長の横でうなだれて並んでいたあの姿だ。「平成の琉球処分」と言った人もいた。ここまで自分たちは惨めなのか。このままでいいのか。そういう怒りや焦りの声を、今年は正月明けから各地で聞いた。」との沖縄の実像があったということだ。

 そうなのだ。
 沖縄からの「沖縄県知事選挙が壊して見せた枠組み」を本土の私たちがいかに壊していけるかということなのだ。

 以下、三上知恵の沖縄撮影日記の引用。







三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第16回

敗者は暴走する安倍政権~沖縄県知事選挙が壊して見せた枠組み~

 11月16日夜8時。連日シュプレヒコールと工事車両の音と怒号とが飛交っていたキャンプシュワブのゲート前が、この瞬間「歓喜」に包まれた。時報とほぼ同時に各社が雪崩を打って翁長候補の当選を報じた。次々に入る吉報にみんなの歓声、絶叫と拍手と指笛が重なり合ってマグマが吹き上がるようなエネルギーが炸裂した。
 辺野古だけではない。各地の翁長選対はどこも勝利の声とカチャーシー、オリオンビールとシマー(泡盛)の乾杯が途切れず、深夜まで明かりがついていたという。

 現職の知事に10万票の大差を付け、初めて政党の枠を越えた知事候補を押し出し勝たせた沖縄県民。この大勝利はいったいどこから来たのか。それは何を意味するのか。

 今回の選挙ではっきり言えるのは、次の4年の県政を誰に任せるかという、いつもの県知事選挙ではもはやなかったということだ。基地に「NO」といえる本物の沖縄の代表を初めて押し出す。それが翁長支持者の最大の願いだった。
 現職の仲井真知事を推す側が、翁長個人の人気を削ぐネガティブキャンペーンに精を出していた所を見ると、翁長支持者が見つめている地平を全く理解していなかったと思う。翁長支持者には仲井真知事個人の資質など、もうどうでも良かった。彼らが仲井真知事に見ていたのは、「金目」に自ら絡め取られて「いい正月が迎えられる」と言い、身内に基地負担を押しつけられているのに毅然と拒否できない沖縄のリーダー像だった。

 そのリーダー像はなにも仲井真氏に始まったことではない。敗戦後、植民地同然のアメリカ軍統治時代以降、丸腰の占領民が生き抜くためには、プライドを捨てても実を取るという選択しかない悲しい歴史があった。正論やかっこいいことを言って正面からぶち当たってどうにかなる相手ではない。相手を怒らせずに上手に交渉をして、もらえるものをもらって県民を守る。子や孫のためにはプライドを捨てるのはなんでもない、というリーダー達がいてこそ今がある。

 それで沖縄が得たものはもちろん多い。社会基盤の整備は見違えるほど進んだし、格差は埋められてきた。しかし一方で失ったものも多い。誇り、自立する力、豊かな自然、正論を言う勇気。特に見て見ぬふりをせず、思考停止もしないで不条理に向き合っていく力が弱められているのではないかという声を、この1年、良く聞くようになった。

 ひとつのきっかけは、昨年末報道された、県民が忘れられないあの光景である。沖縄選出の自民党議員達が辺野古容認にくら替えさせられ、石破幹事長の横でうなだれて並んでいたあの姿だ。「平成の琉球処分」と言った人もいた。ここまで自分たちは惨めなのか。このままでいいのか。そういう怒りや焦りの声を、今年は正月明けから各地で聞いた。それは保守系の人達の間からも噴出していた。経済界の重鎮達も、今度ばかりは政府と自民党の沖縄軽視に反旗を翻す人たちが続々現れていた。保守・革新でもない。基地か経済の二者択一でもない。沖縄の誇りの問題だ。既に基地経済は沖縄の根幹を揺るがすほどの地位を占めなくなり、逆に発展の阻害要因だという認識も共有した。地殻変動は1年かけて徐々に深部に到達していった。

 もうひとつ今回鮮明に現れた特徴は、沖縄県内の対立はもううんざり、という県民感情だ。保守と革新、基地と経済、機動隊と反対運動、知る者と知ろうとしない者…。いくつもの対立軸を作り、お互いの苛立ちを本当の敵にぶつけられないまま、県民同士で傷つけ合う。私自身ここで取材報道をして20年、そうやって消耗し合う年月が恨めしかった。だからこそ映画「標的の村」ではその構図を描きたかった。
 沖縄の苦しみを見て見ぬふりをしながらさらなる負担を押しつけようとする政府と、本土の無関心。こんな巨大な敵と闘わねばならないときに、自公だ、革新だ、と中央政治のタテの流れに習って政治地図を作っていては、本物の敵に勝てるわけがない。

 翁長新知事を歓迎しない人たちはいう。すぐに兵糧攻めにあうよ。政府に締め付けられれば持ちこたえられない。安保も自衛隊も意見が違うのに、支持母体が既に瓦解しているじゃないか。見ててごらん、ひどい目に遭うよ、と。

 確かに、利益の流れを止めないで! とすがる人たちは兵糧攻めが怖いだろう。金目で最終的に沖縄は黙ると見下している人も、音を上げる沖縄が見たくて仕方ないのだろう。
 でも翁長候補を推した人は、日米両政府を相手にいきなり全勝できるスーパーマンなどいる訳がないのは百も承知だ。予想される政府からの冷たい仕打ちに、共に耐える覚悟があるからこそ票を入れたのだと私は思う。どうやっても動かせなかった壁にぶち当たっていくリーダーを選んだのだ。県民の方もバカではない。試練は折り込み済み。島ぐるみで支えるから、70年の怒りと悲しみを終わらせてくれ。そういう積年の思いと覚悟が詰まった1票であり、票の質が全然違うのだ。

 実感として、これまで動いていなかった若い世代や主婦層などが、面白がって選挙応援に加わっていったのは驚きだった。この選挙期間は「初めてのオール沖縄の知事」を支える側にとっても、まず政治的な思いをカミングアウトし、連帯を模索し覚悟を問われる試金石になった。それは今後の知事のバックボーンを作るためのレッスンでもあった。そして実際に動いた人たちは、これは新しい沖縄に繋がる道だと手応えを感じている様子がよくわかった。勝ったはいいけどすぐ崩れる、とタカをくくっている人達は、たぶんあまり動いていない人達なのだろう。

 さらに本土からの応援は、かなり積極的で情熱的なものだった。
 「沖縄の闘いが全国の希望です」「今回沖縄が勝てれば次の選挙は勝てる気がする」「安倍政権に活を入れられるのは、もはや沖縄だけ」「本土の分まで頑張って」「国の暴走を沖縄から止めよう」などなど、多少虫のいいエールもあるのだが、戦争につき進んで行く安倍政権に抗う最前線が、辺野古の基地建設を巡る闘いなのだと位置づける人も多い。
 自分のことのように関心を持ってくれる人も増えていて、翁長当選に沸く辺野古の動画を当日深夜にフェイスブックにアップしたところ、1日足らずで4500回視聴された。沖縄の、いや日本の地殻変動の地鳴りを聞こうと、わざわざ探して動画を見てくれる国民は大勢いる。その存在を含め、我々は勝った。負けたのは暴走する安倍政権なのだ。

 私達は絶対に戦争する国にはならないし、戦争に加担したくない。原発で地球を滅ぼしたくもない。必死で叫んでいる民の声を聞かない政府には、交代してもらうしかない。

 沖縄の新しいステージは始まった。この平成島ぐるみ闘争が全国に飛び火して、国民のための本物の政治を引き寄せてくる原動力になれれば、70年の戦世(イクサユー)はたちまち弥勒世(ミルクユー)に昇華していくだろう。


by asyagi-df-2014 | 2014-11-19 20:40 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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