松代大本営看板問題 -負の歴史に真摯に向き合ってきたこれまでの長野市の取り組みからすると、もったいないことである。
2014年 10月 26日
以前、長野市松代町の松代大本営地下壕(ごう)入り口に市が設置した看板で、朝鮮人労働者が工事に携わることになった経緯を伝える文章のうち、「強制的に」の部分に市がテープを貼って見えないようにした問題を取り上げた。
今回、壕を管理する長野市が、「多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています―。と、「と言われている」と伝聞表現にして、決着を図った格好で、結論を発表した。
このことについて、信濃毎日新聞は社説で、「市役所内の検討だけで案内板を掛け替えて終わらせてしまっては、もったいない。」と、報じた。
また、その結論を、「来年で終戦から70年になる。戦争の記憶は風化が進む。だからこそ、市民と一緒になって検証しながら身近な歴史を学ぶ積極的な仕掛けをつくりたい。子どもたちの関心を引き付ける機会にもなる。市役所内の検討だけで案内板を掛け替えて終わらせてしまっては、もったいない。」と、している。
確かに、このままの結果にすることは、負の歴史に真摯に向き合ってきたこれまでの長野市の取り組みからすると、もったいないことである。
長野市を訪れ、松代大本営の事実に衝撃を受けるとともに、未来を見つめるための教材化しているその姿に感動を受けた者の一人として、やはりこの長野市の結論は、どうしても間違っていると言わざるを得ない。
以下、信濃毎日新聞の引用。
信濃毎日新聞-松代大本営 歴史を曖昧にするのか-2014年10月22日
多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています―。
戦争遺跡である松代大本営地下壕(ごう)(長野市)の説明板に記す朝鮮人労働者らの実態は、こんな表現に変えられる。
地下壕建設の労働の強制性をめぐり論議になり、壕を管理する長野市が検討結果を発表した。「と言われている」と伝聞表現にして、決着を図った格好だ。
歴史認識に関わる問題だ。庁内検討会を3回開いただけで、新たな説明文を決めたのは拙速ではないか。
説明板は、市が1990年に壕の一部の一般公開を始めた時に設置した。建設の実態について「延べ三百万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され」と書かれていた。
その「強制的に」の部分がテープで隠されているのが今夏、発覚。市が、外部から「朝鮮人の労働は強制ではなかったのではないか」との指摘を受けて、テープを貼っていたことが分かった。深い議論のない安易な対応だった。
1910年、日本は当時の韓国を植民地化した。太平洋戦争が始まると「数十万人の朝鮮人や占領地域の中国人を日本本土などに強制連行し、鉱山や土木工事現場などで働かせた」(山川出版社「詳説日本史」)。
その人たちが松代でも働かされていたことは、大本営地下壕研究の第一人者、故青木孝寿さん(元県短大教授)の著書や長野市誌、長野県史にも書かれている。
確かに「延べ三百万人」という数字には諸説あり、日本に移住した「自主渡航組」と呼ばれる朝鮮人らも働いていたことは青木さんの著書なども触れている。
市が新たな説明文に「必ずしも全てが強制的ではなかったなど、さまざまな見解があります」と追加したのは理解できる。だからといって、強制的な動員自体に疑問が生まれるものではない。
加藤久雄市長は、地下壕の建設が戦時下の国家的プロジェクトだったとして「国が責任を持って調査すべき問題。一自治体が踏み込むのは避けたい」と述べた。そうだろうか。
来年で終戦から70年になる。戦争の記憶は風化が進む。だからこそ、市民と一緒になって検証しながら身近な歴史を学ぶ積極的な仕掛けをつくりたい。子どもたちの関心を引き付ける機会にもなる。
市役所内の検討だけで案内板を掛け替えて終わらせてしまっては、もったいない。