沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第10回

 沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
 そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。
三上知恵の沖縄撮影日記。
 
 今回の報告では、渡具知さん一家について、「でも『政治的な場に子どもを連れ出すな』などと、安全な場所から安易にジャッジするのだけはやめて欲しい。逆に言えば、政治的ではない場所などこの世にあるのだろうか? ノンポリがノンポリの子どもを育てるのが中立だなどと、笑わせないで頂きたい。親の思想を押しつけるな、と言う声もよく聞くが、親の考えや地域の影響を受けない子どもがどこにいるだろうか。米軍機だらけの空の下で子どもを育てられないと17年頑張ってきた親を見ながら、成人までは政治的な活動は見ません、参加しません、という子があるだろうか。」と、伝える。
 そして、「渡具知さんの3人の子どもたちの成長は眩しいほどだ。最近は、両親をそっと支える優しさ、勝手な大人たちの思いを受け止める強さまで覗く。この子どもたちの目に宿る確かな尊厳は、どんなに濁った目の大人たちが束になってかかっても奪い去ることはできないだろう。」と。

 一度だけ、ゲート前ピースキャンドルに参加させてもらいました。その時は、自分に一生懸命で、その親子の姿にまで、充分には思いを寄せることができませんでした。
 「子どもたちの目に宿る確かな尊厳」。
 確かに、闘いの最前線では、そうした視線に近いものを感じ取ることができてきた。

 以下、三上知恵の沖縄撮影日記の引用。






三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記10回-2014年10月8日


この子どもたちの目に宿る尊厳は奪えない~17年間、基地反対の火を灯してきた渡具知さん一家

 今年6月27日、意を決した20人の住民グループが沖縄県知事に会いたいと、北部から遠路はるばる県庁に詰めかけた。半分以上が白髪交じりの高齢者たちだった。
 辺野古の基地建設に反対する「新基地つくらせない二見以北住民の会」(※)は、全住民の3分の2に当たる981人分の署名を直接知事に手渡したいと、1時間半の道のりを南下してきたのだ。しかし当の仲井真知事に会うことが叶わず、県の担当者に詰め寄る住民の顔には落胆といらだちが見て取れた。

 「私たちは当事者です。辺野古だけではない。訓練が始まれば米軍機は私たちの真上を飛ぶ」
 「地元には丁寧に説明すると言うが説明会は一度もない。無視され続けている私たちの気持ちがわかりますか?」
 「17年前の住民投票で、私たち名護市民ははっきり基地はいらないと言ってるんですよ」

 ある50代の男性がサングラスを外しておもむろに言った。
 
  「私はね、自分の長男。長男の顔が見られないんですよ」
 渡具知武清さん(57)は、大浦湾に面した瀬嵩出身だ。

 「ぼくの長男はね、ちょうど名護の市民投票の時に生まれた。この子のためにもって、私ら頑張って、基地反対が勝ったじゃないですか。それで終わったはずじゃないですか。なのに、未だに造る話で。長男が10才になれば、10年もやってるのかと思う。今年17才で、家族みんなで17年も反対してきたのにって、彼の成長を見て思うんです。わかります? これで本当に造られてしまったら、もう、ぼくは、長男の顔を正視できないですよ」

 住民の会の人たちは目頭を押さえた。みんな17年前の住民投票で必死に反対の声を上げた人々だ。だから、当時生まれたばかりの赤ん坊を抱いて頑張っていた渡具知夫妻のことはよく知っている。いつのころからか、廻りの大人たちはみな長男の武龍くんの顔を見ると「大きくなったね。もう住民投票から○年なんだねえ」とため息をつくようになった。だから「長男をまっすぐ見られない」という父親の心境は、みんな痛いほどわかるのだ。

 彼らだけではない。1997年の住民投票の時、私が初めて二見以北の地域に入って取材をしたのが渡具知さんの自宅だった。「これで基地の不安を終わらせるんだ」と奔走していた当時のご夫妻は、まさかそのあと17年間も基地問題に翻弄されることや、後に生まれる双子の姉妹も一緒に5人家族で反対運動を続けていくことなど、想像もできなかっただろう。
 私も、この子どもたちの姿を見るたびに胸が詰まり、つい年月を数え、ため息をついてしまう。彼らにはいい迷惑だろうが、渡具知さん一家の姿は辺野古の基地問題と向き合ってきた人々にとって共通の時間軸を浮かび上がらせる存在になっているのだ。

 2004年、辺野古の海の上でボーリング調査が始まろうとして、船やカヌーの阻止行動が構築されていった頃、渡具知さんたちは子育て真っ最中で、気持ちははやるが海上にはとても行けなかった。その代わりにと、毎週土曜日の夕方ペットボトルに入れたろうそくを手に静かに基地のゲート前に立ち「大浦湾を守りましょう」と手を振るピースキャンドルを始めた。
 それは今も毎週続いていて、丸10年を迎えようとしている。声高な主張やぶつかり合いは苦手という人たちも参加しやすいと、家族連れや、初めて辺野古に来る人たちが渡具知さんたちと共に行動してくれた。多いときは200人、少ないときは一家5人だけで、増減しながらも地道に繫いできたアピール行動だった。

 それが、埋立てが秒読みになった今年7月。10年目で初めて目の前に警察が立った。一家がいつも車を止める場所にやってきて禁止を告げる警官。12才になった双子の姉妹・和紀(かずき)ちゃんと和奏(わかな)ちゃんの表情がこわばった。こんなにこぢんまりとした静かな運動にまで圧力をかけるのかと、武清さんは県警をにらみ返した。
「こういう警察の姿を見せたくない。子どもたちを怖がらせたくない。今日は休もうかと、迷ったんです」。武清さんは不安を口にした。
 が、長男の武龍くんは「大丈夫でしょう。いつもどおりやれば」と妹たちをリードした。
 そして不安をはねのけるように、いつも以上の笑顔で姉妹は沿道に手を振った。

 確かに、大人たちが彼らに負わせた荷物はあまりにも重い。この17年間、状況をひとつも改善できないまま沖縄に生きてきた大人の一人として、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 でも「政治的な場に子どもを連れ出すな」などと、安全な場所から安易にジャッジするのだけはやめて欲しい。逆に言えば、政治的ではない場所などこの世にあるのだろうか? ノンポリがノンポリの子どもを育てるのが中立だなどと、笑わせないで頂きたい。親の思想を押しつけるな、と言う声もよく聞くが、親の考えや地域の影響を受けない子どもがどこにいるだろうか。米軍機だらけの空の下で子どもを育てられないと17年頑張ってきた親を見ながら、成人までは政治的な活動は見ません、参加しません、という子があるだろうか。

 日本中の大人がだらしないから、沖縄の子どもたちが基地の前に立ち、警察と向き合う緊張を乗り越えて、誰も責任を取らない政治的な妥協の産物に立ち向かっていかなければならないのだ。沖縄にいれば、子どもたちも基地を肯定・否定する意見、どちらも聞くだろう。影響を受け、揺れ動きもするだろう。それでも、この国に基地被害に怯える子どもたちが存在することなど知りもしないという子どもよりよっぽどましだと思う。

 渡具知さんの3人の子どもたちの成長は眩しいほどだ。最近は、両親をそっと支える優しさ、勝手な大人たちの思いを受け止める強さまで覗く。この子どもたちの目に宿る確かな尊厳は、どんなに濁った目の大人たちが束になってかかっても奪い去ることはできないだろう。

※辺野古の北側、大浦湾に面した13の行政区のうち、国や県は辺野古、久志、豊原3区だけを辺野古への基地建設の「地元」としてきた。「二見以北住民の会」は、それ以外の10区の住民によって結成されたグループ。


by asyagi-df-2014 | 2014-10-10 05:39 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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