集団的自衛権から徴兵制を考える

集団的自衛権が「戦争をする国」づくりである以上、徴兵制の問題は、避けて通れない問題になる。
 このことは頭ではわかっていても、イメージとしてつかみにくい。
 偶然、雨宮処凛がゆく!に出合った。
韓国で徴兵拒否をし、フランスに亡命後、、2013年6月にフランス政府に難民認定された22歳の青年の話。 
 そうだった、韓国への平和ツアーで出合った韓国の青年は、兵役拒否で刑務所に入っていた人だった。
 学ぶことは、到る所で可能なのだ、

 以下、雨宮処凛がゆく!の引用。






雨宮処凛がゆく!第310回 亡命者・イェダりんの大冒険!!の巻 - 2014年9月24日

 怒濤の、そして奇跡のような、宝物のような数日間だった。
 優しくて強くて、そしてこれ以上ないほどの美しい言葉を、私はたくさん耳にした。
 そしていろんな人の優しさにも触れた。「徴兵が嫌でフランスに亡命した」22歳のイェダさん――滞在中に「イェダりん」というあだ名がついたので、以降、「イェダりん」――が日本にやってきた5日間。いろんな奇跡があちこちで起きた。

イェダりんの大好きな手塚治虫の壁画の前で。
 イェダりんがどんな人についてかは、こちらをご覧頂きたい。とにかく彼を日本に呼ぼうと思い立って1ヶ月、はるばる亡命先のフランスからイェダりんはやって来てくれた。
 9月17日、高円寺で会ったイェダりんは、びっくりするほど普通の男の子だった。顔にはあどけなさが残り、まだまだ「少年」のようだ。こんなに普通でとっても物静かな印象の男の子が亡命までしたなんて。イェダりんの「幼さ」に軽くショックを受けていた。
 17日夜の彼の歓迎会には、彼に会うために、そして外国特派員協会での会見に参加するために、韓国から来日してくれたアン・アキさんも参加した。現在32歳で既に徴兵を終えた彼は、韓国で徴兵制に反対する活動を続けている。数年前、日本のイベントに参加するために来日してくれたことがあり、久々の再会だ。「イェダりんを呼ぶ」という一大プロジェクトを共に進めてきたヤン君ももちろん歓迎会に参加。松本哉さんも来てくれた。「何が食べたい?」と聞くと「カツ丼とラーメン」とイェダりん。食べたいものも「育ち盛り」系だ。歓迎会には、テレビの取材も入った。結局その日は居酒屋で語り合い、〆にラーメン屋さんへ。その場にいる誰もがイェダりんとは初対面なのに、なんだか昔から知っているような気がした。そしてみんながみんな、イェダりんのことが大好きになった。
 翌18日から、本格的な活動だ。
 午後に週刊金曜日で私と対談をし、午後5時、向かった先は参議院議員会館。ここで「U-20デモ」という未成年の人たちが主催の勉強会に参加。テーマは秘密保護法だったのだが、突然の話だったのにイェダりんは日本の秘密保護法と韓国の国家保安法の類似点などについての分析を展開。集会のあとは、主催の10代の人々と食事会。日本で脱原発や秘密保護法、集団的自衛権に反対するなどの活動をしている10代の人たちとの交流には、大きな刺激を受けたようだ。
 さて、それで1日は終わらない。食事会のあとはヤン君、アンさんともども私の家に移動し、今回の来日のメインイベント「外国特派員協会」でのスピーチ台本作りだ。みんなで意見を出しながら台本を作り、ストップウォッチで時間をはかりながらイェダりんがスピーチの練習をする。すべてが終わった頃には、既に深夜になっていた。
 そうして、とうとう当日。一緒に外国特派員協会の壇上に立った瞬間、胸が熱くなった。イェダりんに向けられるたくさんのカメラ。その中で、堂々とスピーチをするイェダりん。なんだか何度も涙が出そうになって、気がつけば、1時間の会見は終わっていた。

9月19日、外国特派員協会での記者会見!
 終わったあと、イェダりん、ヤン君、アンさんと、固い握手を交わした。フランスと韓国からこうして日本に集まって、集団的自衛権行使容認の閣議決定がされたばかりの日本で、記者会見を開いたのだ。近くのパブで乾杯し、高円寺でお寿司を食べて向かったのは高円寺パンディット。この日はここで、イェダりん、アンさん、ヤン君、私が出演してのイベントだ。集まった数十人とともにビールを飲みながら、徴兵制について、日本と韓国それぞれの「生きづらさ」について語る。来てくれた人たちは、イェダりんに次々と質問を浴びせる。大舞台を終えたイェダりんはリラックスした様子で、酔っぱらっているからか、どんどんトークが熱くなる。
 休憩の時間になると、イェダりんは顔をビールで赤くしながら「いいですねー」を繰り返した。
 「この場所、こんなふうにみんなで話ができて、来てる人はみんないい人で、本当に、来てよかった!」
 イベント終了後も来てくれた人々と交流しつつ、お酒を飲んだ。
 その翌日は12時から「デモクラTV」に生出演だ。荻原博子さんなど多くのゲストに囲まれて、イェダりんはなぜ亡命しようと思ったかや、韓国の徴兵制について話をする。番組のあとは日本に来てから初めての自由時間。浅草を観光し、「スニーカーが買いたい」と言っていたイェダりんは、1500円くらいのスニーカーを購入。
 そうしてこの日の午後6時半からは最後のイベント「マガ9学校」だ。この日はアンさん、ヤン君、私といういつものメンバーに新たな一人が加わった。韓国で「戦争のない世界」という徴兵反対運動をしている団体のメンバー・クロウさんが合流したのだ。たまたま関西旅行中だった36歳のクロウさん(徴兵は終えている)は、韓国のメンバーから「今、日本に、フランスに亡命してるイェダさんがいるから会いに行け」という指令を受けて合流してくれたのだ。

9月20日、「デモクラTV」に生出演!
 多くの人が参加してくれたマガ9学校には、この連載に登場してくれたジャマルさんも来てくれた。イランの独裁政治から逃れるために日本に渡って24年、難民申請して14年になるジャマルさんは、イランに帰国したら拷問と死が待っているのに、いまだに日本政府に難民認定されていない。また、日本では働くことを禁止されていて、働いたら収容所行きなのに、生活保護の申請もできないという状態だ。そんなジャマルさんは最近、カナダへの亡命が認められ、近々出国する予定となっている。
 一方で、2012年7月にフランスに渡り、難民申請をしたイェダりんは1年で難民認定され、今はベーグル職人として働いている。韓国に帰国したら刑務所行きだが、フランスでは難民申請中にも月に3万円程度のお金が支給され、ホームレスのシェルターに寝泊まりできていた。日本とフランスの「難民」に対する意識の違いがあまりにも浮き彫りになったのだった。
 さて、そんなマガ9学校のあとは新大久保の韓国料理店でご飯を食べ、みんなでイェダりんが好きだというカラオケへ。ブルーハーツやアニソンを熱唱するイェダりんは本当に「普通の男の子」で、本当にこの人が亡命までしたなんて…となんだか信じられない気持ちだった。
 お母さんは、亡命を決めたイェダりんを一度は泣いて止めたという。だけど、イェダりんの気持ちは揺るがなかった。今、自分が行動して徴兵制への異議を唱えないと、ずーっと同じことが続く。国の言いなりになるなんて嫌だ。本当はただ幸せに生きたいだけだけど、自分だけ幸せでも、他の国で戦争で死んでいる人がいたらそれは本当の幸せじゃない。幻の幸せだ。人殺しの訓練なんかしたくない。戦争は嫌だ。ただ、そんなシンプルな思いを貫こうとするだけで、亡命という極端な選択をせざるを得ないことを知ってほしい――。
 20歳で初めての海外でフランスに渡ったイェダりんは、6万円の所持金が尽きてホームレスシェルターのお世話になり、1年かけて難民認定された。フランス語は一切できない中での片道切符の旅立ち。ホームレスの時、彼はフランスに留学している韓国の同世代の人々の姿を見るのが辛かったという。しかし、イェダりんは今に至るまで、自分がホームレス状態にまでなったことを母親には話していない。「心配するから」だ。
 カラオケは結局朝まで続き、イェダりんは徹夜のまま、成田空港に向かった。別れ際、高円寺の駅前で固く抱き合った。また絶対絶対会おうね、そう誓い合った。

イェダりんとジャマルさん。両手に亡命者!
 集団的自衛権の行使容認が閣議決定されてから、少しだけリアリティを持ち始めた「徴兵」。しかし、私たちはそのことをどれほど知っているだろうか。
 ヤン君やアンさんやイェダりんに会うまで、私は韓国の徴兵制には良心的兵役拒否も代替服務制もないことも知らなかった。拒否したら1年半の刑務所というのも知らなかったし、3日に1人くらいの割合で自殺者が出ていることも、いじめが酷いことも、一切の電子機器が持ち込めないので携帯もなくネットもできないことも知らなかった。また、徴兵に行かないことが韓国の男性にとって、就職できないなどの社会的な死を意味することも知らなかった。その上、月の給料は1万円で、しかしイラク戦争時、徴兵された中から志願してイラクに行った人たちの給料は30万円ということも知らなかった。
 徴兵制の是非なんかを問う前に、私たちは、どれほどこのシステムについて知っているのだろうか。だからこそ、問題提起したかったのだ。
 アンさんは、「日本でいきなり徴兵制ということはまずないと思う」と言いながら、付け加えた。
 「徴兵制は、それとは一見関係ないところから準備される。おそらく身体検査という形で準備されるだろう」
 健康な成人男子のデータを国が管理するような動きには要注意。そんな指摘には、なるほどと頷いた。
 さて、それでは最後に、外国特派員協会でのイェダりんのスピーチ全文を紹介して終わることとしよう。

 私は韓国で91年に生まれました。
 いま、22歳です。
 2012年7月、20歳のとき、徴兵が嫌で亡命を決意し、フランスに旅立ちました。
 日本円にして6万円程度だけ持ち、片道切符でフランスにいった私は、フランス語もわかりませんでしたが、難民申請を支援してくれる団体を探し、ときにホームレスのシェルターで寝泊まりしながら難民認定されるのを待ちました。
 そうして2013年6月、フランス政府に難民認定されました。
 いままで、徴兵拒否で亡命した韓国人は他にもいましたが、徴兵制度そのものが亡命の理由として認められたのは僕がはじめてです、
 ほかの人たちは、セクシャルマイノリティや宗教の理由から徴兵がむずかしいということで亡命が認められていました。
 いま、僕はパリでベーグル職人として働いています。

 僕がなぜ亡命しようと思ったかをお話しします。
 中学生のとき、手塚治虫の漫画『ブッダ』を読んだあと、自分は命を殺さないと決めました。
 ですが、徴兵制度は人を殺すように訓練される兵士になることです。これは僕の良心と信念とは矛盾するものでした。
 韓国では、良心的兵役拒否は認められていません。代替服務制度もありません。

 そんな徴兵に応じないと、1年半、刑務所に入れられます。
 また、韓国社会では徴兵に行っていないと就職が難しいという問題もあります。
 韓国で徴兵を拒否するということは、社会的な死を意味するのです。
 韓国では2000年頃から徴兵拒否をする人が増えました。
 イラク戦争に韓国軍が派兵されたこともその背景にはあります。
 今年の4月には、徴兵された20歳の若者が1ヶ月以上、暴行され、「床に吐いた唾をなめさせられる」などの陰湿ないじめを受けた果てに、先輩兵士に執拗な暴行を受けて死亡しました。
 また、6月には、軍隊内でいじめを受けていた徴兵中の21歳の若者が、銃を乱射し、5名が亡くなるという事件が軍隊内で起きました。彼はいじめを受け、いわゆる「逆切れ」状態で銃を乱射したそうです。
 軍隊内でのいじめ自殺も多く、毎日のように軍隊内では自殺者が出ています。そんな軍隊生活はどうしても嫌だと、入隊前に自殺する若者も少なくありません。
 いじめだけでなく、軍隊生活は24時間の奴隷制度です。
 給料は月に日本円で1万円くらい。
 徴兵中は、携帯電話の所持も禁止され、インターネットもできず、外部との連絡もとれません。
 外部との接触を遮断することによって、人間関係が軍隊の中だけになり、そのことが一層陰湿ないじめに結びつきます。
 現在、徴兵を拒否して刑務所にいる韓国人は約800人。
 全世界で兵役拒否で投獄されている人は約970人です。徴兵拒否者で投獄されている人の9割を韓国人が占めています。 
 1945年以来、1万6000人以上が刑務所に入れられました。

 私の家族、友達、愛する人は韓国にいます。
 私がこの席でいいたいのは、私が亡命という極端な選択をせざるを得ない現状を、改善するように韓国政府に求めたいということです。
 韓国を旅立った2012年からの2年間、私は家族や友達、愛する人にあえていません。
 フランスに亡命した私が韓国に入国すれば、まっているのは刑務所です。

 なぜ、私が今日、日本でこのような会見を開いたのか。
 私は先月、雨宮処凛さんに電話をもらい、今月16日、日本につきました。
 処凛さんからは、7月の集団的自衛権の閣議決定から、日本の若者のあいだでも徴兵制へのリアリティが高まっているという話をききました。
 徴兵制の実情や、徴兵制がある社会でどんなことがおきるのか、今後の日本の将来のためにも、私の話がなんらかの参考になればいいと思っています


by asyagi-df-2014 | 2014-09-29 05:35 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

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