本からのもの-虚構の抑止力

著書名;虚像の抑止力
著作者;新外交イヌシアティブ編
出版社;旬報社


 最近は、「抑止力」という言葉が、日本の行く末の鍵を握るキーポイントとして喧伝されている。
 「瓶の蓋」論を初め、日本の安全保障を巡る問題では、こうした言葉が、一人歩きしてきた。
 特に、安部晋三政権は、「安全保障政策は国の重要事項だから地元の民意に左右されない」とする強権政治を貫こうとしている。
 この本では、政府側の根拠となってきた「抑止力」についてその儀慢性を明らかにする。
 あわせて、これに基づくとされる辺野古米軍基地新設の間違いについても。

 「抑止力」について、マイク・モチヅキは、定義づけを行う。
 まず、抑止力理論が出てきた歴史的背景は、「核兵器の時代におけるソビエト連邦・米国間の二極競合、そして戦略的安定の模索であった。」と説明し、この中で抑止力の専門家は、「『恐怖の均衡』に基づいた『相互確証破壊』が米ソ間の全面戦争を抑止ないし防止するのであり、わずかながら国際的安定をもたらしている」を唱えてきたとしている。
 抑止力の定義については、次のように説明する。

「抑止力とは、対象とする国家ないし組織に対し、マイナスの結果を被ることになるため、一定の行動を控えるよう説得するための威圧的な戦略である」
「抑止力政策の信頼性と効果は、目的が明確であること。予測可能性、そして比例原則に依存する」
「抑止力が信頼に足るものとするには、対象となる国家ないし組織が何らかの行動を起こさぬよう説得するため、必要となる」

 また、この抑止力の種類は、マイク・モチヅキ流に言えば、「マイナスの結果」は、大まかに二つに分類されるという。
 一つには、「懲罰的抑止力」で、「受け入れ難い、ないしは耐え難い処罰である」。
 二つには、「拒否的抑止力」で、「この形態の抑止力は、対象となる国家が抑止の対象となる目的を成功裏に達成することを困難にする行動(武力行使)をともなうものである。拒否的抑止力は、通常戦力(非核)をともなう抑止が一般的である」。
 抑止力のことを、屋良朝博は少しわかりやすく説明する。
「普段、在日米軍がいるのは拒否的抑止、つまり、攻めてこられないような体制を取っておくという考え方でしょう。たとえば、『何かあったときには米軍が大挙して日本に来る。米軍は戦力投射能力があるから、日本を攻撃したわれわれの本国が攻め込まれる。これはえらいことになる』という懲罰的抑止」
 さらに、「中国が軍事力による一方的な現状変更を簡単にはできないようにする『拒否的抑止』は主として自衛隊が担っています。米国の役割は、むしろ核を含む圧倒的な軍事力による懲罰的抑止にあると思われます」と説明する。
 このことに加えて、半田滋は、「たとえば、尖閣の現状変更を『抑止』するのであれば、その主役は自衛隊であり、米軍は周辺の海上・航空優勢を維持することでしょう。少なくとも、海兵隊の役割はない」と続けます。このことについては、半田滋も、「海兵隊は地上戦闘兵力であり、防衛白書が強調するシーレーン防衛とか中国艦船と対決するような自体には投入されない」と説明する。

 沖縄に配置された海兵隊の役割が限定されるすると、辺野古米軍基地新設で説明されてきた「抑止力」のためということは、成立しないことになる。
 このことを詳しく見てみたい。
 すでに、森本敏元防衛大臣の「軍事的には沖縄なでなくてもよいが、政治的には、沖縄しかない」という発言、つまりは「政治的に許容できるところが沖縄にしかない」という発言は、すでに知られていた。柳澤協二は、「尖閣のみならず、西太平洋をめぐる海兵隊の『出番』はない」と断定する。そして、「辺野古埋立については、もともと海兵隊が沖縄にいる必然性がない。軍事的必然性がない以上、基地を受け入れるかどうかは、住民の意思によって判断すべきことであって、政府がごり押ししてはいけない」と。
屋良朝博は、この問題を次のように続ける。
「沖縄海兵隊の役割は大きく変容していくことになる。沖縄に残るのは司令部と年中海外遠征している31MEUだけになる。再編計画が進むほど、政府が海兵隊を沖縄に置くときの決め台詞、『地理的優位性』『抑止力』が羊頭狗肉であることがはっきりとしてくる」
 さらに、こう続ける。
「沖縄に海兵隊を配備しなければ日米同盟が崩れると真顔で説く専門家もいるが、馬鹿げた話だ。海兵隊はアジア太平洋全域を見ている。沖縄に海兵隊が駐留すれば守られるという考える日本は視野狭窄に陥っている」と。
半田滋は、沖縄に残される実践部隊について、次のように説明する。
「沖縄に残る実戦部隊は、第三一海兵編成隊(31MEU)と第一二砲兵連隊のみとなる。31MEUは即応部隊であり、強襲揚陸艦に乗って太平洋を巡回訓練しており、沖縄にいるのは、年に二、三ヶ月程度。また、第一二砲兵隊は日本本土での実弾射撃訓練のため、やはり、沖縄には、年二、三ヶ月ほどしかいない。主力の第四海兵連隊がグアム移転するのだから、日本政府のいう『抑止力』は限りなく弱体化することになる」

 この本の中で、はっきりしたのは、海兵隊は沖縄に常時居るわけではないということ。また、海兵隊は、安部晋三政権が集団的自衛権のために説明してきたような役割を果たす訳でもないこと。
 だとしたら。沖縄の海兵隊の存在を背景として述べられる「抑止力」は虚構であり、これを利用することは虚像を提示しているに過ぎない。
 このことからすると、辺野古米軍基地新設は、明らかに間違っている。地域の自己決定権を持ち出すまでもないくらいに。

 最後に、屋良朝博は、沖縄について、「沖縄には三つの境がある。一つは中国などとの国境、二つ目は日本の法律を拒絶する米軍基地のフェンス、そして三つ目は本土との間に横たわる境界だ。過去の大戦で多くが戦没した沖縄は時間が止まってしまった。」と指摘をする。この指摘にどのように応えていくか、ここでは改めて、自己決定権の問題に変えることになるのかもしれない。

補足;屋良朝博の「海兵隊撤退の道すじ」には、触れることができなかった。大事なことや疑問も感じているが、今はまだ、充分に把握することができていない。今後の課題である。


by asyagi-df-2014 | 2014-09-26 17:35 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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