沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第6回

沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
 そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。
三上知恵の沖縄撮影日記

 第6回レポートの最後は、こう結ばれている。
 「迫害され、不条理のど真ん中に突き落とされてなお地域の希望を背負って奮い立っていく二人に、私は心からの拍手を送りたい。
 と同時に、彼らを送り出した沖縄の民の覚悟、鮮明に浮かび上がってきた『不屈の精神』に敬意を表する。」

 じっとこの言葉を噛みしめている。

 以下、三上知恵の沖縄日記(第5回)の引用。






第6回
鮮明に浮かび上がった「不屈の精神」・沖縄統一地方選挙で示された民意とは

 9月7日に行われた統一地方選挙。これは沖縄にとって大きな転機になった。
 辺野古17年の抵抗を踏みにじるように進む海上工事、特定秘密保護法の制定や集団的自衛権の行使容認など沖縄を暗雲で覆う安倍政権の暴走…ところがそんな逆境にあって沖縄は今回、権力者に屈せず「きちんとモノを言う」議員を各地で選出した。
 まずは、映画『標的の村』の主人公のひとりでもある、東村高江在住の伊佐真次さん。
 8人枠の村議会議員の一角を破り、初当選を果たした。オスプレイのヘリパッド建設に反対してきた8年間を、保守地盤の地域がようやく認めた格好だ。

 また、辺野古のある名護市の市議会議員選挙では、基地建設反対を鮮明に打ち出す稲嶺進市長を支える与党議員が多数を占めた。
 中でも、大浦湾で泳ぎながら育った東恩納琢磨さんは、過疎地域から大量票を獲得して再選。基地反対のシンボル的存在だけに、琢磨さんの万歳の写真は地元紙トップを飾り、今回の地方選挙で示された沖縄の民意を印象づけた。

 自衛隊配備で島が二分されている与那国島でも、誘致派多数の現状を打破して反対の議員が当選している。

 「お上が決めたのだから仕方がない。それなら貰えるものをもらおう」
 この体質は、基地を押しつけられ振興策をばらまかれたこの半世紀ですっかり沖縄に定着した。
 どんなに抵抗しても、相手は日米両軍、両政府である。特に復帰前のアメリカ軍統治時代は、家を焼かれて土地を取られ、「これは家族に食わすのだ」と畑の作物を守ろうとした老婆は轢き殺された。
 それでも、誰も助けに来てはくれなかった。そんな沖縄県民に「基地反対をし続けるのが本当だ。代償に飛びついたら説得力がない」というのは残酷だ。

 誇りを失わず、しかし権力とも折り合って生きていく方法は簡単ではない。沖縄の地域のリーダーには、常にそのバランスが求められてきた。
 ところが今、県のリーダーは誇りをかなぐり捨てて交付金に飛びつき、沖縄の運命を決める新基地建設にGOサインを出したばかり。そのあとの日本政府の手法はあからさまである。
 反対反対ばかりでは政治は進まないと身にしみている県民でさえも、今回ばかりは「もう我慢ならない」と立ち上がって向きを変え、譲れない一線を背にイデオロギーを超えて並び始めたのだろう。

 例えば、保守地盤で人口も少ない東村では、投票の基準は相変わらず地縁血縁であり、政策を訴えるビラも演説もほとんどない。街宣カーに乗るのは伊佐さん一人だった。ヤギ鍋を用意しなかったのも伊佐さんだけだったそうだ。
 それでは議会制民主主義には程遠い。しかしながら、日米両政府に金と権力で押さえ込まれ続けた島としては、主義主張より、地縁血縁のアイデンティティーで守り合う集団の方が、よっぽど信頼できたのではなかったか。理想を掲げて喧嘩する人よりも、自分たちの利益のために上手く動ける人を選ぶ。シマ社会はそうやって生きてきた。
 ところが、過去2回落選した伊佐さんの街頭演説は、少しずつ浸透していたのだろう。ヘリパッド建設には触れようとせず、一度も反対してくれなかった東村議会が、今変わろうとしている。地域では孤独だった高江の闘いは、ゆっくりとではあるが、大人しい東村民を動かしつつある。

 東恩納琢磨さんは、10年前の辺野古の海上闘争のリーダーの一人だった。
 私は彼を主人公にたくさんの番組と企画を放送してきた。それは、まだ彼が地元の土木事務所で働いていた頃に、“基地容認派”コメントを取りに行った際、作業服を着ていながら、「ぼくはこの海で育ったから、埋められたくない」と小声で言ったのを、大きくテレビで取り上げてしまったことが始まりだった。
 しばらくして、彼はそこで働けなくなった。私は彼の仕事を奪ってしまった責任を取るべく、彼が大浦湾を守るためにやることは全部応援しようと決めたのだった。

 以来、彼は“二見以北”という辺野古より北の地域を束ねて地域おこしをし、基地に頼らない経済を模索してエコツアーガイドを始め、ジュゴンの保護区を目指してアメリカの自然保護団体とサンフランシスコで「ジュゴン裁判」を始めるなど、めきめきと頭角を現してきた。
 私も、一緒に「歩くサンゴ」や「アオサンゴの群落」を探し出して大浦湾の魅力を世に伝えたり、ジュゴン捜索隊を結成してジュゴンが水中を泳ぐ姿を捉えたり、この海を守るために夢中になって東恩納琢磨さんといろんなことをやってきた。
 でも、名護市議選に出ることには、私は賛同できなかった。議員になってしまえば、彼の活動は政治活動と捉えられてしまう。テレビ屋としては、地域の若きリーダーでいて欲しかった。

 しかし、彼の行動力や情熱と人間的魅力は、基地依存ではない新しい沖縄を志向する名護市議会にとって当然、必要だった。彼は議会デビューの日、ジュゴンの大きな写真を議場に持ち込もうとして係員に注意されていた。そんな琢磨議員の誕生は、私にとっては誇らしさと寂しさが同居するものだった。

 そして、同じように伊佐さんも議員になっていく。SLAPP裁判で、国と最高裁まで闘った人物(※)が、民主主義を根底から覆す仕打ちを受けた伊佐さん本人が、東村の議会制民主主義に希望をつないできっちり向き合っていく。

 迫害され、不条理のど真ん中に突き落とされてなお地域の希望を背負って奮い立っていく二人に、私は心からの拍手を送りたい。
 と同時に、彼らを送り出した沖縄の民の覚悟、鮮明に浮かび上がってきた「不屈の精神」に敬意を表する。


by asyagi-df-2014 | 2014-09-15 12:01 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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