沖縄から-オバァ・オジィ達に繋がるために

新たな状況を迎えた辺野古。
 朝日新聞は、2014年8月19日、オバァ・オジィ達の声を伝えている。
 「沖縄の心をねじ曲げることはできない。絶対にあきらめない」
 この声に続くために。

 以下、朝日新聞の引用。







辺野古、オバァは折れない 海底ボーリング調査始まる-2014年8月19日


 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画が18日、新たな段階に入った。防衛省が、同県名護市辺野古の埋め立て予定地で海底ボーリング調査に着手。辺野古案が浮上した1996年以降、初めて海底が掘削された。反対してきた地元のお年寄りたちは「まだあきらめない」と思いを新たにしている。

 ■連日座り込み「正念場これから」

 「とうとう海を傷つけたね。私たちがこれだけ反対しているのに。海の神様が怒るよ」。18日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前で、島袋文子さん(84)は憤った。

 沖縄戦で米軍の火炎放射を受け左半身を焼かれた。普天間飛行場の移設先として辺野古が浮上したのは1996年。「戦争を体験している私たちが反対の声を上げよう」。仲間と声を掛けあい、辺野古の浜で座り込みを始めた。

 数年前から両ひざの痛みが激しく、今では杖が手放せない。それでも7月初旬からのシュワブ前での座り込みには連日顔を出す。「まだ海が埋め立てられたわけじゃない。正念場はこれからよ」

 ■足腰弱り「気持ちだけでも」

 長年反対運動の中心にいた辺野古の嘉陽宗義さん(91)の姿は今、座り込みの場にない。足腰が弱ったためだ。「行きたいけど仲間に止められている。オジィはただ元気でいてくれればいい、と」

 97年に辺野古の戦争経験者ら約40人と「ジュゴンの会」を結成。反対運動を引っ張った。だが今は週1回、迎えの車に乗って反対派の会合に出るのがやっとだ。

 そんな中で始まったボーリング調査。「受け入れられない」と語り、自らを奮い立たせるように続けた。「気持ちだけでも平和運動はできる」

 長い反対運動の中で、他界した人もいる。名護市の大西照雄さんは昨年6月、70歳で膵臓(すいぞう)がんで亡くなった。移設反対の団体「ヘリ基地反対協議会」の共同代表を務めていた。

 高校の元社会科教員。04年3月に退職後、翌4月から辺野古での座り込みに加わった。

 「毎日暗くなるまで帰ってきませんでした」。妻の初子さん(70)は振り返る。10年前に国がボーリング調査の準備を始めた時は、調査のための足場で寝そべって作業を阻止した。

 11年にがんとわかり、昨年3月から入院。国が同月に辺野古の埋め立てを県に申請した後は病床から「チルダイ(落胆し力が抜けること)するな」「後は頼む」と仲間に伝えた。

 ボーリング調査開始に、初子さんは「あの人も悔しがっているでしょう」。それでも、夫がよく口にした言葉を思う。

 「沖縄の心をねじ曲げることはできない。絶対にあきらめない」


by asyagi-df-2014 | 2014-08-19 06:29 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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