安倍晋三政権の「成長戦略」に強く反対する 2

 この「成長戦略」については、以前にも書いているが、「現政権が行おうとしている『成長戦略』は、実は、あるべき『規制緩和』という重しをはずし、一握りの収奪者だけに利潤を集中させる構造変換政策に過ぎないものであり、新自由主義の悪しき政策に過ぎない」ということをまず指摘する必要がある。
 これまでの新自由主義がもたらしたものは、富の過度な一部集積と労働者・国民の窮乏化であり、地方の疲弊という姿しか作り出してはいない。
 この新自由主義ということについては、 例えば、琉球新報は2014年6月18日の社説で「 成長戦略、市場原理主義でいいのか」と新自由主義に基づく成長戦略への疑問を投げかけた。
 以下、琉球新報社説、引用。


 日本企業の国際競争力を高めるとの大義名分の下、大企業を優遇する半面、生活者への配慮に欠けるという印象は否めない。
 政府は、安倍政権の経済政策「アベノミクス」の「第3の矢」となる新たな成長戦略の素案を示した。安倍晋三首相が「岩盤」と呼ぶ農業、雇用、医療分野の規制の改革を打ち出した。法人税減税や労働時間規制の緩和など、経済界や投資家の要望をほぼ全面的に受け入れたのが最大の特徴だ。
 昨年6月に公表された成長戦略は、めぼしい政策に乏しく、アベノミクスの生命線である株価の急落を招くなど市場を失望させた。新たな成長戦略が「株価重視」と指摘されるゆえんだ。
 ただ、市場を意識するあまり、議論が生煮えとの批判も根強い。新成長戦略の具体的な制度設計はこれからで、スケジュールや数値が明確でないためだ。目玉とする法人税減税の財源の裏付けがないのが象徴的だ。
 一方、法人税減税の穴埋めとして、赤字企業でも対象となる外形標準課税の強化が取り沙汰され、中小零細企業へのしわ寄せが懸念される。雇用の規制緩和でも人件費の抑制や長時間労働を助長するとの批判もある。成長戦略の行方は不透明と指摘せざるを得ない。
 安倍政権が中小零細や家計に冷ややかと映るのは、「トリクルダウン理論」が見え隠れするからだ。滴が上から下にしたたり落ちるように、大企業が潤えば中小零細企業も栄え、やがて賃金上昇など社会全体に恩恵が及ぶとの考え方だ。
 ただ、この理論はあくまでも仮説で実証されたわけではない。しかも、この理論は、中央と地方の格差や貧困の拡大を招いた「小泉構造改革」にも通底する。
 過去、十数年の日本経済の停滞は、市場原理主義が、消費性向の高い若年・子育て世代の貧困を招いたからという指摘もある。だとすれば、安倍政権の生活者軽視の成長戦略は、効果が薄いどころか、むしろ経済の縮小を招かないか。
 さらにアベノミクスは、国家の繁栄のためには国民の痛みもいとわないという、国家至上主義的な考え方も見え隠れする。集団的自衛権の行使容認など安全保障政策とも重なるが、極めて危うい。
 成長戦略は、主役である国民の不安や不満を置き去りにしてはならない。理念から見直すべきだ。

 ただ、小泉政権を引き継いだ第1次安倍政権以来、この内閣は、「成長戦略は、主役である国民の不安や不満を置き去りにしてはならない」ことを基本理念とするような叡智は持ち合わせていない。
 
 今回の「成長戦略」を考える上で最も重要な観点は、「3.11をどう捉えるか」ということから、一連の政策について考えてみることの重要性である。
 「3.11をどう捉えるか」という発想を出発点にすることでしか、実は持続可能な社会を築くことはできないことを肝に銘じなければならない。
 例えば、2014年5月21日の大飯原発運転祭止め判決で、樋口英明裁判長は、次の判決を下した。
 
「原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。」

 この判決は、「原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである」と人格権の立場から最優先されるべきは命の問題だと位置づけている。

 「3.11」との関連で、「3.11をどう捉えるか」という発想を出発点にすることに関して、次のように断定している。

「原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。」

 つまり、「3.11をどう捉えるか」という発想を出発点にするということは、「3.11]以後の政府の政策に最も必要なものは、「福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。」という視点から、まずは命の問題に立ち返ることから、日本のあり方そのものについて考え直すということである。

 結論的に言うと、今回の「成長戦略」には、この視点が全くない。
 だとしたら、今回の安部晋三内閣の「成長戦略」には、反対するしかない。


by asyagi-df-2014 | 2014-06-26 06:30 | 書くことから-労働 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧